“できない”の裏側にある声を、聴ける大人でありたい― BesQ・代表仁田楓翔のコラム ―
「自分なりにやってみます」
「教わらなくても大丈夫です」
一見、主体的で頼もしいこの言葉。
しかし教育や成長の現場においては、この“我流”こそが、知らず知らずのうちに成長を妨げる壁となることがあります。
特に勉強やスポーツ、芸術など
“基礎”が命の分野では、正しい型を身につけていない者が、一定以上のレベルに進むことはできません。
私が指導してきた中でも、
「教科書をちゃんと読まない」
「自己流で計算式を作ってしまう」
「人のアドバイスを聞かない」
――そんな子ほど、テストの応用問題に立ち向かったときに、混乱したり、ミスを繰り返したりする傾向があります。
なぜか?
それは土台が不安定だからです。
いくら自分なりに工夫をしても、その“工夫”が本質を理解した上でのものなのか、それとも単なる誤魔化しなのか
それを見分ける目は、自分自身にはまだありません。
たとえば、剣道やピアノの世界では「型破り」は称賛されますが、それはあくまで「型を身につけた者」にだけ許される境地。
「型無し」の段階で自己流を貫くのは、無謀であり、自滅に近い行為です。
この点については、教育心理学でも裏付けがあります。
たとえば米国の学者ノーム・チョムスキーが提唱した「生成文法理論」においても、
言語能力の習得にはまず文法=ルールの習得が前提であるとされます。
人間は基礎的な“構造”があるからこそ、それを応用して自由に言葉を生み出せるのです。
また、心理学者ヴュゴツキーは「最近接発達領域」という概念の中で、
“適切な指導者”による支援こそが、子どもの本来の能力を引き出すカギであると述べています。
つまり、優れた指導者から学ぶことは「近道」であるどころか、「唯一の道」である場合もあるのです。
私自身、数多くの子どもたちと関わってきた中で、基礎をコツコツと積み重ねた子ほど、「どんな問題でも正しく対処できる力」を持つようになると実感しています。
それはただ単に“知識が多い”ということではなく、「物事を冷静に分解し、的確に判断できる目」を持っているということです。



