精神分析は精神科学に基づき心の病を癒し人間の謎を解き明かす第二章-4
第三章 精神世界の構築 『3_相対性の克服』
人類の悲劇:文字の出現
人類が言語を持った時から、人類の悲劇は始まった。
戦争という言語がなければ殺し合うこともなく、
富という言葉がなければ私利私欲に走ることもなく、
権力という言葉がなければその力を手に入れようと思わず、
主人がなければ奴隷もなく、
支配がなければ服従もなく、
差別がなければ虐げられることもなく、
神という言葉がなければ魔物もなく、
天国がなければ地獄もない。
この世は唯、生命が営み、種を保存していくだけの生命の世界であった筈。捕食と生殖行為だけの営みで事足りる、極めて単純な世界であった筈。
ところが、文字の出現により、種は同族間における情報交換が行われ、集団が形成され、族がとまれ、家族が形成され、文化が生まれ、集団は社会をつくった。これらの発展は、現実を表象化し、記号にし、物と意味を共有することで社会が形成され、文化・儀式の生活以外の形式をつくり、伝承していく歴史がつくられるようになった。
生と死は時空を超えた文字・記号・絵などに生活を託し、後世に伝える文化という形式を確立した。生活は仲良しと対立を生み出し、争いと排除は防衛を必然的に要請し、武器を発明させた。
そこから、人類の戦争と平和は始まり、以後歴史上からこの文字が消えることはなかった。そして今も消えずに、その二文字は掲げられている。その文字が現れている限り、人類は悲劇を主とする歴史を刻み続けているということである。
アンビバレントを克服できない原因

人は未だに愛と憎しみの両価性(アンビバレント)を克服していない。戦争と平和、排除と受容の二項対立を克服していない。この原因は何か。因は一つである。それは「自我欲」である。富の独り占めと、自分だけ生き残るという自己防衛、そして自分が一番大事で可愛いという「自己愛」である。ここには、共存共栄の共に生きるはなく、排除だけが正義としてまかり通る閉鎖的世界である。
共に手を取り合って仲良く生きていくことが出来ない理由は何であろうか。
それは人に「信」、「虚」、「嘘」という文字があるため、人を信用したり、信頼したり、他者の主体が一つの真実で構成されていない事を知ってるがために、人は人と対立する。人を信じ切れない疑念を払拭することが出来ず、争いと騙しは、不信を生み、隠す心は詐欺行為を生む。
こうして人は互いに疑心暗鬼となり、「信じる」という文字は社会から消え、宗教の世界にだけ「信仰」という文字で生き延びている。しかし、それによって人々が人類のすべてが「信」を持った訳ではない。
絶対は存在するのか

信に対して「不信」の文字がある限り、「真実」に対して「虚偽」がある限り、この世に真実は存在しないことになる。絶対という文字もそうだ。「人類が全滅することは絶対無い」とは、絶対に言えない。とは言えない、とデカルトの言った「我思ふ故我有りと思う我あり、と思う我……」永遠に続くフレーズである。結局、答は無い。
絶対の意味は、この相対性の世界は存在しない。が、時々真理が顔を出す。しかし、それを真理と言える人が居ない。何故なら、それを真理と理解する知がないのに加え、そもそも「信」がないから、受け容れない。よって人類が「真理」をつかむことはない。が、これも絶対ではないので、いつか、理解する人類が出現するのかもしれない。
ラカンとフロイトによって開かれた「真理」は、地上に届けられたにも拘らず、一向に広まっていかない。インターネット上では何十億人もの人が、観たり、聴いたり共感している事が在るのに、ラカンとフロイトは一向に取り上げられないし、世界の人々の理解と共感を得ていない。私と少数の研究者たちだけが、支持しているだけで、ネット上の話題にも上がらない。
誰か、権威ある人が、例えばビル・ゲイツ氏が30兆円寄付するなら、精神科学の啓蒙に使って欲しいと、切に願うものである。
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