精神分析は精神科学に基づき心の病を癒し人間の謎を解き明かす第三章-2

大澤秀行

大澤秀行

テーマ:人間とは何か


第三章 精神世界の構築 『2_Φとは』


農耕生活


イスラエルもガガも、ウクライナも露も、他世界の到る処で戦火を交じえ、紛争と殺りくが絶えない。私の子供時代の世界は村の地区一帯が総てだった。半径2㎞もあれば事足りた。神社の境内で野球をし、村の中を駆け廻り、田んぼの中でころげ回って、日がな一日遊んでいられた。

そして、日が暮れて、各々の家の煙突から夕食の仕度の煙があがり、その匂が風に乗って鼻先を掠めていくのを機会にそれぞれ家路に着いて、散っていく。そんな日々の繰り返しで、それが世界の地球の総てだった。4㎞先の町は、既に外国だった。

今や世界は、私が生きた時代と同じくらいに狭くなってしまった。情報のやりとりのスピードを地図にしたら、もっと狭く、もっと複雑に生きている。

文明、科学が数十年前は、縄文時代とさほど変わらない農耕生活を営んでいた。毎年米をつくり、野菜は自給自足、麦をつくってうどんを打ち、ほぼ自給自足で生命をつないでいた。生きている意味も、生まれて来た訳も問いかけず、考えることもしないで、単純に生きていた。金も出世も権力も名誉も自己愛も要らない、唯自然と共に生きていた。日が昇り日が沈む、唯それだけの日々を送る。それが人生だと思ってた。


アイデンティティー


そんなシンプルな生が、突如俄かに中学になった途端一変した。それは「受験」である。平和で安穏たる世界は一瞬にして消え去り、代りに恐ろしい競争世界が突如現れた。予告なしの登場のため、自我は狼狽して正気を失い、パニックに陥る。どう生きていけばいいのかさっぱり判らず、呆然自失状態。

無邪気な子供時代は思春期の始まりと共に呆気なく終わる。これからは、自分が何者になるか、なりたいか、自我同一性の世界へと移行する。それについて行けない人は落伍者となる。そう大人達に教えられる。否が応でも社会の掟に従って生きなければ廃人にされてしまう恐怖を味わう。必死に勉強し、社会の流れに乗り、振り落とされぬようにidentityをつくる。

この時、今の自分と理想とする自分の分裂が生じる。
社会が求める人間になるか、私が求める私自身になるか、それを決めなければならない。私に理想の自我像があるのか問われる。無かった場合、私は空中分解し、崩壊し、今の自分も失くなる。


Φ(ファルス):人間存在の核

人間存在の核になり、自我理想の基こそ「Φ」(ファルス)と言う。ラカンが説いたトポロジーを支えているのが、このΦである。残念ながら男性にしかなく、女性はになり、Φは無いという。

子供時代は、現実と空想しかない、二つの次元を生きている。スーパーマンに成りたかった子供は、首に布をまいて本当に空は飛べると想い、高い所から飛び降りたものだ。そこに法則や法則の記号・数字・理論が介入し、象徴界に足を踏み入れる。そこでは「私は何者か」「汝何を欲するか」の問いかけが生じる。

答えられないと「私」は意味の世界から排除されて、人間でないものになってしまう。人間でないとは、欲望を持たず、唯食べて寝て、動いているだけの生物だということ。人間は唯生存しているのではなく、社会の一員として役に立つそれ成りの役目と使命を持って生きる存在である、と社会は説いている。


私は何者か、それはお前の欲望か


自然の中を動物のように駈け走っていただけの生きる時代は、象徴界の出現と共に、呆気なく終わり、社会の法の下に服従するしか生きる術を持たない、奇妙な生き物に変貌してしまう魁が、13歳で訪れる。

人は自分の存在の基を何にするかで、人生は決まる。「何者か」と問われ、「私は医師です」と言えば、それでこの社会は生きていけるが、「何者か」に「判りません」と言ってしまえばニートか引きこもりにならざるを得ない。例え仕事をしていても「それはお前の欲望か」と問われたら「そうです」と言えなければ、私は幻想を生きていることになる。


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大澤秀行
専門家

大澤秀行(精神分析家)

合同会社LAFAERO1(ラファエロワン)

精神分析家として34年の臨床実績があり、現在もメールや電話も合わせると、一日平均10名の精神分析によるセラピーを行っている。

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