鏡像関係は、絶対的孤独な人間の寂しさと孤立感を癒す
子供が財布からお金を盗ったと判ったとき、ついカッとなって感情的に叱ってしまうことも少なくないのではないでしょうか。
子供の将来を考え善悪を教えようと、2度としないようにするにはどう話せばいいのか、叱ればいいのか悩みますね。また叱っても繰り返し財布から盗ることが続いたり、盗む理由を聞いても明確な理由が無いこともあります。
ここでは親の財布からお金を盗る子供の心理についてお話します。
お金を盗る子供の心理
【例】 小学生の頃から母親の財布からお金を盗る癖があり、何度叱ってもやめない。お店で盗んだり友達からは盗ることはなく、盗りたいとも思わないと言う。盗るのは家でだけ。
ここでの一番のポイントは、外の社会で盗ることはなく、家庭に限定されていること。そして、何度叱られてもやめないということです。
それはつまり、叱られることにメリットがある、もっといえば叱られることが喜びになっている子供の心の構造がみえます。
なぜ叱られることが喜びなのか?
叱られているときは、親の目に自分が映っている、関心を向けられています。
ということは子供にとって何もない日常は、親の目に映っていない、放ったらかされている状態を意味します。それを無関心といいます。そのため子供は親がまなざし、関心を向けていることが喜びとなります。
親の無関心と子供の注意引き
【親の無関心が子供の心にもたらすもの】
・私はどうでもいい子
・いらない子
・淋しい
・独りぼっち
無関心とは無視であり、無視は存在の抹消となり、子供を透明人間にします。
【子供の注意引き】
しかし、財布からお金が無くなっていればどうでしょうか?
現実的に目に見えるお金が消えていれば、親は気付きます。子供はお金を自分に貼り付けたら透明人間ではなくなりました。お金の存在と共に自分の存在が浮かび上がってきました。
透明人間ほど淋しいことはありません。独りぼっちです。誰の目にも映らない透明人間になった子供は、自分はここに居る、見て! かまって! と親のまなざしの獲得のために行為化します。これを注意引きと言います。
したがって、たとえそれが叱咤でも子供は親の関心の的になったことで自分の存在を実感します。
だから、親の財布からお金を盗ることをやめられません。親のまなざしを引き出そうとする行為化の一つの形式です。そうしなければならないほど、淋しい子供の心理が見えます。
対応の第一声「おこづかい足りてる?」「困ったことない?」
このとき子供と向き合い対応しなければ、次は社会で存在証明や淋しさを紛らわしたくなります。親の財布から盗るのは、まだ親に期待している証拠、チャンスです。
財布からお金を盗ったと判ったときは、気付かないふりや理由を聞かずに怒ったり、決めつけて責めるのではなく、「おこづかい足りてる?」「困ったことない?」などと、声をかけます。犯人探しや裁いて量刑を決めることは、百害あって一利なし。家庭が警察や裁判所になってはなりません。しっかり子供の話を聴いて向き合い寄りそいます。すると、思いがけない子供の本当の気持ちを知り、親子関係を見直す機会となるでしょう。
日々子供たちは注意引きにより、アプローチしています。子供は何を訴えているのか、何が言いたいのか、その心の声を聴き的確な対応をしたいですね。しかし、親は自分の子供時代の不満を子供に投影し、それを憎悪してつい叱ってしまいます。そんなとき、子供の訴えがわからず対応に悩まれたときなど、少しでもお力になれれば幸いです。
⇨ 家族セラピー
⇨ 無関心は心の病気の出発点!!親の関心を惹くために子供は色々なことをする