鏡像関係は、絶対的孤独な人間の寂しさと孤立感を癒す
現在放送中のドラマ「ミステリと言う勿れ」の中で、虐待にあった過去を持つ男が虐待をされている子供たちを見て「虐待されてた子供たちも、みんな凝った綺麗な名前ついてんだよな。親も名前をつける時には、そんなことになるとは思わなかったんだろうな」と呟くシーンがあったそうだ。ネット上では、この台詞に悲しみの反響があったとクライエントから教えてもらった。
私が「運命は名前で決まる/精神分析的観点による姓名判断」を出版したのは2008年に遡る。漸く名前に意味があることを理解して頂ける時が来たように思う。
名付けるとは運命を決めること
そもそも名前に興味と関心を持ったのは、私が青春期に憧れた作家になろうとした時だった。当時心酔していた作家がペンネームであると知った時に、なぜ名前を変える必要があるのだろう。本名で書いても何も問題はなかったのではないか?の疑問であり、その意味を解しなかったのである。
名前は記号でしかないから、〇✕△でもいいし、へのへのもへじでもいい訳である。江戸川乱歩もエドガー・ア・ランポからとったし、二葉亭四迷も「お前なんかくたばって、死んじまえ」の語呂合わせから来ていると知った時、名前はその人を表わすユニフォームみたいなものと悟った。
ならば、どんな奇抜な名(記号)でもいい訳だと、これは面白いとペンネーム作りに興じて、作品を書くよりそれに没頭したことを憶えている。その後は作家になる夢を諦め、ある時から分析の勉強を始め、分析家になった。その時に名前をつけようと思った。分析家としての自己を表わす、意味ある名前をつけようと考えた。なぜなら、名前は自己の意味と、自己同一性の自我理想を象徴化した記号に外ならないと知ったからだ。
分析家としての名前を付けた私は、自覚して、その名に恥じないように生きて行かねばと気負った。この気負いが私の人生を方向づけ、私の運命を担うことになったのである。この事実とクライエントの名付けられた由来の語りを通して、名前はその人の運命を方向づける大事な記号であると学んだのである。これが本書を書かせる動機となった。
運命を担う名前がどうしてそう付けられたの問いかけから始め、その名の意味を考えたのが本書である。
欲望の起源は
人は誕生を機に社会的人間として登録されなければならない。それは名前によって登録される。現在はそれに番号が付けられ、完全に記号でしかない存在として単なる納税する、もしくは納税者になり得るであろう数字として同時に登録される。社会は人間に、いや国は国民に対して納税以外の何も期待していないから数値化したのである。
でも国民も一人の人間だ。人間だから個性を尊重する。たとえ同姓同名であろうと、この世でたった一人の我が子に、たった一つの名前に思いを込めて名付けるのである。
名前はこうして他者である我が子への願いと祈りと期待を背景に、それを起源として象徴界から漢字を選び取ってくる、極めて主体的な行為なのである。たとえその思い入れが浅かろうが深かろうが。すると人は、誕生の瞬間からその運命は他者の手に委ねられていることになる。
無意識を名付ける
問題はこの名前は本人自身が付けたのではないこと。そして勝手に他者が名付けてしまったことである。本人がその名前を望んだのだろうか。名付けた他者は、その子に何をしたのだろうか?
それは自己の欲望を押し付けたのである。即ち、名は私にとって他者が他者の欲望を一生涯消えることのないものとして、私に刻印したものである。名前は他者の欲望を表わしていることになる。
詳細は本書に譲るとして、他者が人を命名する行為には、無意識が使われるということはお伝えしておきたい。祈願も欲望も、かつて名付け親自身がそうありたいと考えたそれを言語化(象徴化)したものである。各々の名前には、他者のこの世に不在の自我を象徴化した「無意識」が名付けられているのである。
著書紹介
⇨「運命は名前で決まる」
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