危機管理の要は家族の絆と人の繫がり ≪歩み/その2≫
「諦める」ことは大きな第一歩
「諦める」という言葉から何が連想できますか。「仕方ない…」「やめよう…」「ムリ…」そんなネガティブなイメージではないでしょうか。挫折や中途半端なイメージを連想しがちな言葉です。
人は、どんな場面でも、二者択一の選択をしていると言われています。先へ進むか、引き返すかなどです。立ち止り、悩むことも多く、苦労と後悔の連続ではないでしょうか。そして、苦労と後悔は人生の肥やしと評され、自己完結されがちなことも事実です。ご注意ください、時間は巻き戻すことができません。引き返す選択はなく、先へ進む道しかありません。一本の道を行き来するのは、自分だけの都合です。引き返すのではなく、進路を変えることが大切です。「諦め」は、目標へ向け歩いてきた道を、新たな目標へ向けるための大きな第一歩です。
「諦め」が命と人生を左右する犯罪現場
「犯罪とは縁も所縁もない」と考えるのが一般的な考え方です。しかし、犯罪現場では「まさか自分が…」と後悔することが殆どです。身近では、交通事故が挙げられます。
身近である交通事故だからこそ、大きな落とし穴があります。被害者の重篤なケガと目撃者の不在で、「ひき逃げ」を誘発させています。帰宅途中に、車で歩行者を撥ねてしまい、駆け寄ったが意識が無い、救急車を呼ぼうとしたが周りに誰もいない、どうしようと慌ててしまいます。そして、次の瞬間「会社をクビになる」「信用が無くなる」「刑務所に行きたくない」「家族はどうなる」など様々な思いが巡り、現実から逃避してしまった結果が「ひき逃げ」です。意識が無くても救急搬送すれば、命を救えたかも知れません。また、命を救えなくても、救護した事実が残り、逃げることよりも刑罰は減ります。命を奪った事実は消せませんが、その後の人生は大きく違う筈です。諦めるべきは、「被害者の命」ではなく、「自分の都合」です。
「諦め」が希望を生み出す災害現場
以前、ボランティアで赴いた「災害避難所」で、悲壮感に打樋がれる被災者が、「諦め」によって笑顔を取り戻す瞬間を目の当たりにしました。
私が赴いた避難所では、「家が無くなってしまった」「家族が死んでしまった」「家にはもう戻れない」「災害さえ無かったら」と悲壮感が漂い、掛ける言葉も虚しく、逃げ出したくなる思いでした。悲観的な考えに支配された人には、労いや励ましの言葉が苦痛に感じる場合が多々あります。言葉を選び、慎重に話しかけても受け入れてもらえない現実があります。しかし、被災者自らが発する言葉は、お互いを助け合い、力となり、希望へ変わっていきます。「起きてしまったことは諦めて、明日のことを考えよう」こんな言葉が呟かれ始めると、被災という過去より、明日という未来に意識が向かいます。もちろん、被災した方々の努力と勇気であることは否めませんが、未来へ意識を向けるきっかけが「諦め」であることは、間違いありません。
変えられない現実を受け入れるために
犯罪と災害現場という特異な状況を引用しましたが、二者択一の選択をしている日常には、沢山の諦めがあります。他愛の無いものから深刻なものまで、都合の悪い現実は掃いて捨てるほどあり、解決することは困難を伴う場合が殆どです。しかし、やり過ごしや放置することで、何倍もの力となって襲い掛かってきます。時には、悲しみを伴う事象に遭遇することもあり、後悔や罪悪感に苦しむことも少なくありません。1つの結論に囚われ、自分本位な解決策であることが、やり過ごしや放置に繋がっています。結論や解決策は、1つではありません。悩みを抱えた時、困った時は、変えられない現実を嘆いたり恨む前に、自分の都合を諦めましょう。きっと、目の前の現実を客観的に見つめる自分に気づき、進路を変えた「次の一歩」が見つかる筈です。