不審者情報は子どもたちのヒヤリ・ハット
子どもが戸惑う防犯教育
子どもたちと防犯を学ぶとき、必ず心を痛めてしまう場面があります。それは、子どもたちの純粋な親切心を踏みにじってしまったときです。「知らない人について行ってはいけません」になぞられ、犯行手口を解説する場面でやってきます。連れ去りを企む犯罪者は、犯行を容易にするために子どもたちの親切心を利用します。つまり、防犯教育は「親切」より「疑う」ことが正しいと聞こえてしまうからです。戸惑った子どもたちの悲しい目は、忘れられるものではありません。
江戸しぐさに学ぶ防犯教育の在り方
道徳教育の意義には、生命を大切にする心や思いやりの心などの倫理観や規範意識,社会性の育成などが挙げられます。これを防犯の観点から見ると、非行の防止や犯罪の抑制に繋がる有意義な教育です。しかし、犯罪者にならない教育であって、被害者にならない教育ではありません。道徳に欠ける犯罪者は、私たちが培ってきた道徳を守ろうとする心を逆手にとって、利益を得ようとします。また、仲間に引き込もうとします。
みなさんは、江戸時代に商人を中心に広められた「江戸しぐさ」をご存知でしょうか。人と人が助け合って、互いを思いやりながら仲良く暮らすための知恵です。文字だけの学問ではなく、助け合いと自分磨きをする生活の中で編みだし、語り合って身につける考え方です。良い心構えを「しぐさ(行動)」として見えるようにし、「くせ」にする(身につける)ことで、人間関係を円滑にし、江戸の繁栄と平和を維持しました。商売だけに特化した考え方ではありません。また、身につくまでは一人前として扱われないという、厳しい一面もあったようです。
江戸しぐさというと、「傘かしげ」「肩引き」「こぶし腰浮かせ」などが、テレビCMなどを通して有名です。しかし、このようなパフォーマンスは結果論であり、頭で覚えて実践するものではありません。全て「相手の立場に立って、思いやりを持ちましょう」「思いやりがあれば、必然とこうなりますよ」という一例でしかありません。このような例は、800とも1,000とも言われ、氷山の一角でしかないのです。大切なのは、相手に向けられる「思いやり」です。
防犯対策も然り、犯罪者を寄せ付けない振る舞い(良いしぐさ)をくせにする(身につける)ことが、最も重要です。そして、家族に向けられる思いやりが、連れ去りなどから子どもを守るキーワードになります。
道徳と防犯は誰にでもできる小善が礎
江戸しぐさに、子どもたちの困惑を解消するものがあります。「用心しぐさ」と呼ばれるものです。
江戸の町は何が起こるか分からない「まさかの町」と言われ、商人たちは、常に人を見る目を磨き、用心していたそうです。つり銭に間違いがないか、客の忘れ物はないか、在庫は適正か、火の用心は万全か、手を抜かずに何度も確認する念の入れ方が重宝されました。つまり、冒頭の「疑い」を「用心」に変えることで、道徳教育に反することなく防犯教育が行えます。「疑い」は相手の悪意が前提ですが、「用心」は自身に向けられた注意です。日頃の防犯教育では、困った人から助けを求められたら、自分だけで助けるのではなく、大人を呼びに行き、一緒に助けるよう指導しています。また、家族の思いやりとして、助け合いが挙げられます。助け合いは信頼へ繫がり、犯罪者の「家族が病気(ケガ)なので一緒に来てほしい」など誘いの言葉(疑わしい事実)の確認行動を誘発させます。つまり、家族の危機を誰に確認する(信じる)かです。家族を優先できれば、犯罪者の思惑に応じない結果となります。
江戸しぐさの根底には「陽明学」があり、誰もが敬う大善はもっともだが、日常の小善(挨拶、親切、炊事、洗濯、掃除など)を心を込めて行う人こそ、秩序の礎となって平和を作る教養人であると説いています。
子は親(大人)の背中を見て育ち、親(大人)は子に敬われる努力が欠かせません。子どもが不安を持たない家庭環境こそが、非行を防止して、犯罪被害を防ぐ特効薬です。子どもを犯罪から守るために、日常の小善を見直してみませんか。
参考文献
子どもが育つ 江戸しぐさ、暮らしうるおう 江戸しぐさ/越川禮子著