京都縦貫道 道の駅「京丹波味夢(あじむ)の里」の二宮金次郎像

高田治郎

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テーマ:街歩き


先日、京都縦貫道の丹波PAにある 道の駅「京丹波味夢の里」にたちよった際イベント広場に懐かしい二宮金次郎の銅像を見つけました。二宮金次郎の銅像は殆どが小学校の校庭に立てられていることが多いのでこの道の駅で立っている理由を探りましたがわかりませんでした。
銅像は立ち姿でしたが、先日のテレビ番組で二宮金次郎の話題が報じられ坐像で手を合わせお参りしている金次郎を見ました。何処かのお寺に建立されているとか。他にも坐像はたくさん作られてきています。

世の中の変化で本を読みながら歩く姿は今風に言うと「歩きスマホ」と同じでそれを懸念する人もいて立ち姿が変化してきているとか・・・・私達が子供の頃からずっと立ち姿を見て敬ってきた事も時代によっては内容が変化するのですね。立ったままでも全然かまわないと思うのですが。 二宮金次郎は「勤勉な人」というイメージが今も強く残っています。

ネットからの転載によれば
金次郎は天明7年(1787年)に小田原市の裕福な農家に生まれ安政3年(1856年)に70歳で亡くなりました。
お父さんお母さんを早くに亡くし叔父さんのところへ預けられました。
ある夜 明かりをともして本を読んでいると叔父さんに「油が勿体無い」と怒られました。
金次郎は今度は空き地に菜種を植え、出来た菜種と油を交換して本を読むのですが、又叱られ
お前の時間は俺の時間だ。お百姓に学問は要らないというのです。それから始まったのが槙を背負い歩きながら本を読む姿なのです。
やがて金次郎は叔父さんの家から独立し実家の再興・勤勉と倹約に努め小田原藩士服部家の財政の建て直し・小田原藩の分家にあたる桜町領の再興・生涯に615の村々を建て直したと言われています。
金次郎は武士の位を授けられ二宮尊徳となりました。
「積小為大」「五常講」を人々に説きました。


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高田治郎
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高田治郎(石材販売・霊園開発)

株式会社 京石

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