触れるについて、考察してみます*
NLPの一つのテクニックに「リフレーム」があります。
人は、枠ぐんで物事を見ています。
それは、一般化と言う者にもなります。
「あいつはいつも笑っているバカ者だ。」
これは、いつも笑顔でしま利害とバカに見えるという一般化があります。
ところが、その人のそばにいると、いつも気分が良い。
笑顔の力で癒されているわけです。
これがリフレームと言うものです。
リフレームすることで、笑顔が持つ力に気が付くことになります。
「あいつはいつもめそめそと泣いている」
暗いイメージですよね。
でも、「泣いているけど、ほっとするんだよね」と言われると、
イメージは一変して優しいというイメージになりませんか。
あいつは何をさせても、時間が掛かって困る。
時間を守れないけれど、何時も丁寧にしているという事実がそこにあります。
すると、時間が限られているものには不適ですが、
芸術などの、時間に制限がないものや、徐幹制限のない作業などには
そのタイプの人は適していると言えるでしょう。
逆に、早いけれど雑な人はそこには向きません。
(それ私のことで、早いけれど雑です。誤字が多いのも)
適していることと不敵なことが存在するということ。
さらに、同じ現象でも、イメージが大きく変わるということも今知りましたね。
リフレームをする癖をつけることで、良い方向へ進むということも可能になります。
『そのCM、意味を感じません』(アメブロ)
CMでも、上手に無意識に呼びかけるものと、あまり意味がない物が存在します。
『奈良NLPこころの研究会』(動画セミナー)
『セミナー情報.COM』(セミナー告知)