当たり前が当たり前でない時代
私たち、人間は「見ようとするものしか見ることができません」
別の言い方をすると、「見たくないものは、見ない・見えにくい」ということです
例えば、教育という学習の中で必死に予習、復習を繰り返し取り組んでも、結果として結びつかないこともあります。
「勉強した」というプロセスが、「いい結果を得る」という成果にむすびつかないケースです。
このような場合、子どもたちと関わる先生は「結果だけを見ず、プロセスを見ること」に意識を向けてほしいと思います。
頑張りを見て、結果を見ず
という感じです
頑張ったんだけど、何が課題だったんだろうね。一緒に考えてみよう、また〇〇のやり方をしてみよう などの
提案があると、この体験が次への成長へとつながっていきます。
また子どものいたずらや、悪さなどを繰り返す場合も同じだと考えます
これまでの関わりや大人、先生の声かけが一方的だったり、強要的であったりすると、いらずらや悪さはエスカレートします。 こんな時は、「行為だけを見ず、心を見ること」に意識を向けてほしいと願います。
心を見て、行為を見ず 行為を見ず、心を感じる
人が誰でも強くありません、誰かの支えがあるからこそ頑張れる、乗り越えれる、辛抱する、歯を食いしばることができるんです!
今一度、保育士の在り方や先生の在り方、子どもの支え方を問い直しながら、未来の財産である子どもたちの笑顔につながればと思います
私たち子どもを支える仕事をしているすべてのものは、何のために子どもに向き合い続けているのか! 私たち自身が問い直し、言動や行動を正していくことが、子どもたちにできる最善の行為だと思います。