子どもたちの未来を守る ~〇〇をかける理由~
私たちはつねに何かを判断するときの基準を持っています。
「当たり前」という社会的な基準、「当たり前」という家庭の基準です。
教育を受ける権利(※義務教育)として考えると、
当たり前に小学校へ入学し、中学へ進学です。
ほとんどの方が、こう考えます。
当たり前に毎日、学校へ行き、勉強して、友達を作って遊んで・・
もしこの当たり前が当たり前でなくなることがあります。
学校へ行かず、勉強もせず、友達とも・・・
そんな時は、こう考えてほしいと思います。
学校へ行くことが、教育のすべてではない
ということです。
だとすると、学校へ行かないことがその子の「当たり前」でいいという社会的な変化は確実に広がっています。
フリースクールもあります、様々な施設が受け入れてくれます、学校へ行かなくても行く場所はあるんです。
そこでちゃんと教育を受ける権利を保障され、少しでいいので仲間や気の合う人との付き合いができれば、それも立派な「当たり前」なんです。
ひとり一人が異なっていいんだ、それは一人ひとりの当たり前も異なっていいんだということなんではないでしょうか?