簡単な言葉から見える心の在り方
子どもが「うそ」をついた時、あなたならどう返しますか?
うそが常に間違いであり、訂正すべきものであれば、必ずこう返すはずです!
「うそはだめでしょう!」「うそはつかない!」
もちろん人を傷つけたり、相手に対して敬意を表さないような表現はよくありません。
でも時として、子どもの「うそ」は想像性の1つでもあることをお伝えしておきます。
僕は昨日、お空を飛んできたんだよ。
いつもは車でくるけど、歩いてきたよ。歩いたほうが早く着いた!
うそではなく、これらは「そうありたい」「そう感じた」という感性から生まれた表現であり、ある意味で表現力、言語力が未熟なことから、生まれるメルヘン的な表現であるともいえます。
これらの表現は、「いいうそ」として認識しています。
心がぽかぽかになりませんか?
もう1つのうそは、これとは異なりますが、「自己防衛的なうそ」です。 表現力、言語力が高まると、言葉をいい意味で使いこなすようになります。
小学生のあるあるです。 先生に提出すべきプリントを出さないといけないのに、「出した?」と聞かれて、怒られたくないので「うん!」とついてしまう「うそ」。
人に迷惑をかけるような行動をして、明らかに自分しかいないのに「自分じゃない!」という「うそ」。
怒られたくない、叱られたくない、自分を守りたいから生まれる「うそ」です。 これも「自己防衛的なうそ」で人として当たり前に持つ能力です。
ということは、成長に伴い「うそ」も変化、成長しながら、また「うそ」をつきながら、行ってはいけない「うそ」を学んでいるということです。
何事もそうですが、失敗やうまくいかないことから、学ぶことのほうが、いいんです。
「うそをつくこと「」は、想像力という感性の現れであり、また「うそをつく」ということは、語彙が豊かになり、自分という存在をちゃんと守ろうとしていることの現れなんです。
時として本当のことを言うことの方が、相手を傷つけることがあります。ということは、「うそ」とは、実は相手のことを思いやることから生まれるよい表現であるともいえるのではないでしょうか?
難しいですね。