塾長の考え(九大受験)3
先日のことだ。
高校2年生の2人に対して、
国語の学力チェックをした。
学力チェックの中身は企業秘密なので、
ここで詳細を述べることはないが、
受験生にとって国語の学習は大事だ。
それは高校受験でも大学受験でも同じだ。
予備校の新規面談で、
2浪目の生徒(昨年は別の予備校に通っていた)、
に聞いてみて毎回不快に思うことは、
生徒に国語の大事さを勘違いさせる、
そんな予備校講師の存在だ。
面談で私はいつも話すのだが、
国語の根本的な学力がその生徒の人生に、
大きな影響を及ぼし続ける。
受験の時のみならず一生だ。
言葉とは人間だけに与えられたものである。
他の生物にはない特別なものである。
そして、
人間社会においてこの能力ほど、
人生の質の向上において重要なものはない。
時間と労力をかけて「伸ばす」価値がある。
講師として35年間、塾長として31年間、
生徒のみならずいろんな人と接してきて、
国語の能力がその人の世界観を創り、
国語の能力で仕事の出世具合が変わり、
国語の能力で経済力も「幸せ度」も変わる。
そう確信している。
人は社会的動物である。
人との関りの中で生きていく。
勉強であれ仕事であれ家庭であれ、
そこに「言葉ありき」であり、
お互いの考えや気持ちを伝えあうのも、
理解し合うのも、
その程度は国語力に比例する。
実に大事な能力、それが国語力だ。
受験は当然のこととして、
生徒に将来幸せになってもらいたい。
そう考えていつも国語の指導をしている。
「手っ取り早くテクニックを教えてほしい」
そう要望してくる生徒(大学受験生)がいた。
面談で入塾は断った。
東京から来た生徒だった。
「慶応に行きたいからすぐ使えるノウハウを」
面談で入塾は断った。
「国語は本文を読まなくて解けるんですよ!」
今年2浪目の生徒の多くが言ってくる。
昨年は某予備校に通い、そう洗脳されてきた。
実際どうだったかというと、
本番の国語の点数は取れていない。
だいたいそういう生徒は英語も取れていない。
国語の基礎学力もないのに、
基礎からの学習をしたがらない。
なぜならば、
「国語は本文を読まなくても解ける!」
そう信じ込まされてきているから。
「選択肢を読むだけで正誤判定ができる」、
そう信じこまされてきているから。
それは(一部の)予備校講師の常とう手段。
うぶな生徒やその保護者の方に、
インパクトを与えて己の授業の価値を、
アピールしようとしてそう言うだけ。
それに(初めてだから)だまされる。
それを信じた生徒たちは不幸だ。
本質の理解よりもテクニックに走るから。
そのクセがつくから。
(受験指導だから)
「得点を取れればそれでいいじゃないか!」
そうではない。
真の学力をつけた上で、
そういう(受験)テクニックも習得するべき。
真の学力をつけることで、
一生使える能力を身につけることができる。
国語の勉強はそのチャンスなのだ。
「手っ取り早い方法があるよ!」
「何ですかそれは!?」
「これだよ」
「わ~、スゴイ、ください!」
短絡的な思考のクセをつけさせられる。
大人になったら今度はビジネスで、
いずれ「ウマい話」にだまされるだろう。
成功に近道はない。
あるように見えた(成功した)人たちも、
長い目で見れば没落しているではないか。
そんなことは歴史が証明しているし、
そもそも、
テレビを見たり新聞を読んでいれば、
あるいはネットの記事に目を通していれば、
誰でもそんなことは知ることができる。
受験指導をする意味は重い。
受験指導をする講師の責任は重い。
自分の人気を高めるために、
安易な道(考え)に生徒たちを導く、
(一部の)予備校の講師を私は認めない。