情報大洪水の時代(その8)
先ほど面談があった。
そこで話したことの一部をここで述べる。
まず、
中高一貫校に中学受験を経て進学した場合。
勝負は最初の2年間。
通常の中学校の授業の速度に比べて、
「1.5 倍速」で進むことの厳しさと、
付いていけなかったときに起きる悲劇。
これを挽回することは、
一般的な塾ではまず難しい。
なぜならば、
一般的な塾の講師の価値観は、
「わかりやすい授業」をすることだから。
これはその講師の主観も入っているため、
じつにやっかいである。
「わかりやすい授業をした」
と本人が思っていても生徒が同じように、
思うかどうかは別問題。
例えば、
芸人で言えば「ダウンタウン」。
彼らの漫才がおもしろいという人もいれば、
「どこがおもしろいの?」
と反応する人たちもいる。
「とんねるず」がおもしろいよね!
そういう人もたくさんいるが、
テレビに以前ほど出る機会が今はない。
つまり、
「(そこまで)おもしろくない」
という人が現在は多いからそうなる。
今現在はある塾に通っています。
でも成績が上がりません。
それはなぜか?
いろいろ理由が生徒によってあるのだが、
一番落とし穴にはまっているケースは、
「塾での授業がそのときは理解できる」
というものである。
それなのに成績が上がらない。
「いったい何で?」
と親御さんも本人も混乱するわけだ。
だが肝心なことに気がついていない。
「わかる」と「できる」は別もの。
別次元なのだ。
学校の授業ではそれなりにわかっていた。
その時期の定期テストでは点数は取れていた。
でも今では同じ範囲のテスト問題に対して、
思ったようには得点できない。
「何でそうなるの?」
こんなことが起きても別に不思議ではない。
理解したと思っても本質的な理解には、
まるで至っていない場合も考えられる。
あるいは、
理解しても「記憶」されていなければ、
わかったはずの知識もないに等しい。
あるいは、
知識が記憶されていても、
使い方がわからなければ得点はできない。
あるいは、
使い方がわかっていても、
制限時間以内に解けるスピードがなければ、
得点はできない。
ある学校のある学科の英語の先生が、
「超絶的にわかりやすい授業をする」
ということで生徒の間で大人気だった。
男の先生で私もよく知っている先生だが、
その先生の教え子の生徒ならば、
当然のごとく英語はできるとなるはずだが、
私が塾でチェックした時には英文法の知識が、
あらゆるところで欠落していた。
これはなぜか?
ズバリ言おう。
「わかる」が「できる」に変わるのは、
義務教育レベルの中学生の内容まで。
高校のレベルではそうはいかない。
特に、
高校レベルともなれば最高峰は、
東京大学や京都大学などの入試問題である。
「授業がわかる!」
この程度で解ける問題などではない。
もっと本質的な理解と、
十分な訓練が実現できている生徒しか、
得点はできない。
(続く)