塾長の考え(親の学習とは)③
受験に必要なものに「学力」がある。
これは至極当然である。
私個人は能力についてこう考える。
能力=素質+才能
そして、
この「能力」を土台にして、
努力を重ねて習得するものが、
「学力」だと思っている。
したがって、
能力はあっても学力が低い生徒、
そういう存在はたくさんいるので、
そういった生徒を塾で指導して、
本来の能力を十分に引き出したい。
本来の能力をさらに磨き上げたい。
そう思って塾での指導に励んでいる。
そしてそれこそが北斗塾の指導理念。
例えばの話をする。
能力が「10」の生徒がいる。
私はこの生徒の能力を「20」にしたい。
正確に言うと、
本来の能力に学力を「10」足して、
その生徒の(総合的)能力を、
大学受験までに「20」にしたいのだ。
同様に能力が「5」の生徒がいるとする。
私はこの生徒の能力を「10」にしたい。
要するに、
元々の能力は生徒によって違うけれども、
北斗塾に通塾してきている生徒の、
(総合的)能力を倍増させたいのである。
いわば、
「塾生能力倍増計画」
それこそが北斗塾の真のミッションだ。
表向きのミッションは、
小学生であっても、
中学生であっても、
高校生であっても、
予備校生であっても、
(最終目的として)
「志望大学に合格させること」だが。
先ほどの例で言えば、
「10」の能力を持つ生徒は「20」。
「5」の能力を持つ生徒は「10」。
これはどちらであっても、
私にとっては金メダルを授与したい。
よく頑張ったね、
そう言って大学に進学してもらいたい。
能力を倍増した生徒に優劣はない。
どちらもよく頑張ったと思う。
問題なのは、
能力が「7」あっても、
努力(勉強)することができなくて、
その能力が「7」のままで終わること。
これが困るし、嫌である。
勉強する努力は怠って、
本来の能力「7」のままで、
テストを受けて点数を取る。
本来の能力「7」のままで、
成績表が出てくる。
そこに進歩や発展や向上がない。
それでは人生のだいご味がない。
人は「進歩・向上・発展」といった、
成長や進化があればこそ楽しいもの。
本来人間であれば、
誰でも本能的にそう思うのが自然。
それなのに、
いつの間にか自信を失って、
夢も希望も目標も見失っている。
その日その日を生きているだけ。
呼吸しているだけ…。
そういう人(生徒)が多いと思うのだ。
北斗塾は学習塾(予備校)ではあるが、
「塾生の能力を倍増させる場所」
でありたいのだ。
「能力」の構成要素である、
「素質」は、
両親や先祖から受け継いだもの。
「才能」は、
本来の自分が天から授けられたもの。
私はそう思っている(信じている)。
しかしながら、
それは単なる初期値。
そこに人間としての努力があればこそ、
成長や進化があるのだ。
その成長や進化のサポートおよび、
案内役あるいはトレーナーの存在。
それこそが、
北斗塾(予備校)の講師の役割である。