認知症と、人との関わりの大切さ
私はご縁がありまして、一般的に「特養」と呼ばれる介護老人福祉施設で、短い時間ではありますが、お食事や口腔(歯磨き)などのお手伝いをしております。
その施設におられる方々は、ほとんどが認知症の症状があり、上手くコミュニケーションがとれないこともありますが、時には私を見て笑顔を見せていただけることもあり、そんな方々とお話しをする時間は、私にとって楽しい時間となっております。
認知症の症状は人によって様々で、年齢やその方の性格、それまで送ってこられた日常生活など、全てが大きく影響すると言われておりますが、実際に施設におられる方も、似た様な症状の方はおられても、同じ方はおられません。
同じ言葉を何度も発せられる方であっても、そこに込められたお気持ちが異なることを感じることがありますし、上手く言葉にして発することが出来ず、もどかし気にされておられる方には、それをこちらが察することが出来ず、申し訳ない気持ちにもなります。
もし、交わした会話を全て文字にしたら、それを読むだけでは成立していない様に映るものであっても、表情や仕草を見て話し、その方の性格などを少しでも知っていることで、コミュニケーションが成立しているということは、数多くあります。
私のことをどの様に認識していただいているのかは、そのご本人にしか分からない部分もありますが、少なくともそう感じる瞬間は、嬉しい時間でもあります。
よくお話しをして下さった方が
入所してまだ日が浅かったAさんは、小柄でよくお話をされる方で、食事を介助して差し上げると、その度に「有難う」「美味しいね」と言って下さったり、施設にある装飾品を見て「綺麗な色やね」と言って、よく笑顔を見せてくれる様な方でした。
時折、認知症の影響で窓の外側に人がおられる様な事を言われたり、子供時代に戻られた様なお話をされることもあったので、色々なことをお伺いすることが出来ました。
ただ、身近なものを何でも触ったりされることもありましたので、目が離せない方ではあったのですが、元気な80代のおばあちゃん、というのが私の印象でした。
ある日、食事の介助をさせていただくと、明らかに元気がないご様子で、食事が全く進みません。
私としては、以前お会いしてから何日か経過していたとは言え、急な変化に驚いたのですが、最近お身体の調子が少し良くないご様子だと聞き、ただ見守るしかありませんでした。
それから数日後、次にお会いする日が来たのですが、既にAさんは亡くなられた後でした。
看護師の方に話を伺うと、「年齢もあったかもしれないけど、急に認知症がすすんで、食べ物を認識出来なくなってしまわれたみたい。」と言われました。
「それは、認知症が原因で亡くなられたということですか。」と尋ねると、
「ある意味ではそうかもしれない。」という答えが返ってきました。
食事が出来なくなると衰弱してしまいますし、それが高齢の方であれば、生死に関わってしまうということは、容易に理解が出来ますが、“食べる”という生物にとって大切な行動が、認知症の進行によってなくされてしまうということに、私は衝撃を受けました。
医学的には、「認知症で亡くなられた」というのは正しくないのかもしれませんが、明確な治療法も無く、少しずつでも確実に進行して、その方の生命維持に必要な行為までも“認知させなく”してしまう認知症とは、ある意味で癌などの病気と変わりがない様にも思えます。
人と会う・話すということ
新型コロナウイルスは、人々から様々なコミュニケーションの機会を奪いました。
リモートなどの新しい方法もありますが、人と直接会って、話しをして感じる表情の変化や雰囲気、手の温もりなどは、それらでは決して得られるものでないことは、施設の方々とお会いすると強く感じます。
認知症の予防や進行を抑える画期的な治療薬などは、残念ながらまだ確立されていない状況ですが、会話やスキンシップなどのコミュニケーションをとることによって、ある程度の予防や進行の抑制効果がある、ということも言われております。
認知症の方に限った話ではありませんが、初めてお会いする方よりも、何度かお会いしたことがある方の方が、穏やかな表情を見せていただくことが多くなるものだと思いますし、他愛もないお話に花が咲くということも増えてきます。
人と直接お会いするというコミュニケーションは、コロナ禍の影響もあり、当たり前ではなくなってしまいましたが、おかげでその力についても改めて実感致します。
様々な制限や我慢を求められたりする現況に、なかなか先は見通せませんが、そんな中だからこそ、出来る限り人とのコミュニケーションを大切にしたいと感じております。