人とをつなぐレクリエーション
「子どもは、ほめて伸ばしましょう」
教育や子育てに関わっていると、何度も耳にする言葉です。
私自身も保護者や同僚に何度も伝えてきました。
もちろん、私も「ほめること」はとても大切だと思います。
叱られてばかりいるよりも、自分のよさを認めてもらった方がいい。
「できたね」「頑張ったね」と言ってもらえることで、子どもは安心しますし、「自分にもできるかもしれない」という気持ちも生まれます。
ただ、私は最近、
「ほめる」という言葉だけで一括りにしてしまってよいのだろうか。
と考えるようになりました。
というのも、「ほめる」には、大きく二つあると考えています。
一つが、
「基盤承認」
もう一つが、
「挑戦承認」
です。
この二つを意識して使い分けることで、「ほめる」が単なる気分のよい声かけではなく、子どもの主体性を育てる働きかけになっていくのではないかと思っています。
何気ない日常の行動を認める「基盤承認」
例えば、こんな場面です。
朝、子どもが自分でランドセルを片付けた。
「ちゃんと片付けられたね」
授業が始まる前に、自分から教科書を開いていた。
「言われる前に準備していたね、すごい」
友達が落とした物を拾って渡した。
「困っているのに気づいたんだね、ありがとう」
どれも、大人から見れば「できて当たり前」と感じるような行動かもしれません。
しかし、こうした日常の行動を言葉にして返していくことには、大きな意味があります。
私はこれを**「基盤承認」**と名付けました。
私の考える基盤承認とは、
子どもが日常の中で自然に行っている望ましい行動を見つけ、その行動のよさや意味を具体的に言葉にして返すこと
です。
ここで大切なのは、
「えらいね」
「すごいね」
だけで終わらせないことです。
「自分から始めたんだね」
「最後まで片付けたね」
「友達のことを考えて声をかけたんだね」
と、ほめ言葉に加えて、
何がよかったのかを具体的に伝えます。
すると子どもは、
「自分のこういうところを見てもらえているんだ」
「自分には、こういうことができるんだ」
と感じることができます。
これは、「子どもが認められた、自分がしていることがいいことなんだ。」
と、その子自身の自己肯定感のねっこを育てます。
だから「基盤」なのです
基盤承認は、子どもの背中を押す
私は、基盤承認だけで主体性が十分に育つとは考えていません。
しかし、基盤承認は非常に重要です。
なぜなら、
「やってみよう」と思える心の土台をつくるからです。
例えば、何をしても注意される子がいたとします。
宿題を始めるのが遅い。
片付けができない。
忘れ物をする。
話を聞いていない。
大人から見ると、気になるところばかりです。
その子に、
「もっと自分からやりなさい」
「どうして言われるまでやらないの」
と求め続けても、なかなか主体的は生まれません。
むしろ、
「どうせ自分はできない」
「また怒られる」
という気持ちが強くなればなるほど、自分から動くことを避けるようになることもあります。
でも、しっかり見ていけば、そんな子にも、必ず「すでにできていること」があります。
それは本当に小さな一歩かもしれません。
「今日は自分で鉛筆を出したね」
「昨日より早く座れたね」
「分からないって自分から言えたね」
普段見逃してしまいそうな、小さなやさしさや行動を見つけて認める。
すると、
「自分にもできていることがある」
という感覚が生まれます。
私は、この感覚こそが、子どもが自分で動き出すためのエンジンをかける役割を果たすのではないかと思っています。
でも、日常をほめているだけでは足りない
ここでもう一つ、大切なことがあります。
子どもがいつもしていることを見つけ、
「できているね」
「いいね」
と伝える。
これは大切です。
しかし、それだけを続けていれば、子どもがどんどん主体的になるかというと、私はそうではないと思っています。
主体性とは、
自分で考え、自分で選び、自分から行動すること
だからです。
だからこそ、基盤承認によって少し自信が生まれたら、次は子どもの背中を少し押したい。
「じゃあ、今日はここまでやってみる?」
「どちらの問題から始める?」
「自分で目標を決めてみる?」
そんな形で、子ども自身が動ける場面を意図的に設定します。
基盤承認が普段から機能していれば
「やってみようかな」と子ども自身で足を動かそうとしていきます。
そして、その一歩を認める。
ここで重要になるのが、
「挑戦承認」
です。
自分から動いたことを認める「挑戦承認」
挑戦承認とは、
子どもが自分から一歩踏み出したこと、努力したこと、工夫したこと、やり直したこと、粘ったことなど、その過程を具体的に認めること
です。
例えば、
「難しい方の問題を自分で選んだね」
「一度間違えたけど、もう一回やってみたね」
「分からないままにせず、自分から聞きに来たね」
「昨日できなかったところを、今日もう一度練習したね」
「やり方を変えて考えてみたんだね」
といった言葉です。
私は、単に「努力をほめる」という言葉よりも、「挑戦承認」という言葉を使いたいと思っています。
なぜなら、主体性につながるのは、単なる努力量だけではないからです。
自分で選ぶ。
始める。
試す。
失敗する。
工夫する。
やり直す。
続ける。
助けを求める。
これらすべてが、子どもが自分から動いた証です。
そこに価値を与えるのが、挑戦承認です。
「頑張ったね」だけではなく、何を頑張ったのかを伝える
挑戦承認でも、
「頑張ったね」
だけで終わらせないことが大切だと考えています。
例えばテストで80点を取った子に、
「80点、すごいね」
と結果だけをほめることもできます。
もちろん、それが悪いわけではありません。
しかし、
「前に間違えた問題を自分でもう一度練習していたね。その成果が出たね」
と言われた方が、
子ども自身が、
「何をしたから結果につながったのか」
を理解できます。
ここが重要です。
自分の行動と、その結果がつながる。
すると、
「次も練習してみよう」
「今度は違う方法も試してみよう」
と、次の行動につながります。
つまり、挑戦承認は、
子どもの行動そのものに価値を与える働きかけ
なのです。
基盤承認から挑戦承認へ
私が大切だと思っているのは、この二つを別々に行うことではありません。
二つを循環させることです。
まず、
「自分はちゃんと見てもらえている」
「自分にもできることがある」
と感じられるようにする。
これが基盤承認です。
そこから、
「じゃあ、ちょっとやってみようかな」
という一歩が生まれる。
その一歩に対して、
「自分から始めたね」
「難しいけれど、やめずに続けたね」
と返す。
これが挑戦承認です。
すると、
基盤承認
↓
「自分にもできそう」
↓
自分から行動する
↓
挑戦承認
↓
「自分から動くことには意味がある」
↓
次の挑戦
という循環が生まれます。
私は、この循環が、子どもの主体性を育てていくのではないかと考えています。
これは、生徒指導の4つの機能である「自己存在感の感受」と「自己決定する機会の提供」につながりますし、教師や大人との「共感的な人間関係の構築」に繋がります。
そして、その循環が回れば回るほど自然と「安心・安全な風土の醸成」につながっていくはずです。
主体性は「何でも子どもに任せること」ではない
主体性という言葉を使うと、
「子どもが自分から動くまで待つ」
「大人は何も言わない方がよい」
と思われることがあります。
私はそうは考えていません。
まだ自信が十分に育っていない子に、
「自分で考えてやりなさい」
とだけ言っても、動けないことがあります。
そんなときには、大人が背中を押してよい。
「ここまでならできそう?」
「最初の一問だけ一緒にやる?」
「AとBならどちらからやる?」
と、一歩を小さくしてあげる。
そして、子どもがその一歩を踏み出した瞬間に、
「自分で選んだね」
「始められたね」
と認める。
主体性を育てるというのは、
最初から一人で歩かせることではなく、いつか自分で歩けるように支えること
なのだと思います。
最終的には「ほめられなくても動ける子」に
「ほめる教育」という言葉を聞くと、
子どもをたくさんほめて、気分よく行動させることのように感じることがあります。
でも、ほめてもらえなければ動かないのであれば、それは本当の意味で主体的とは言えません。
だから私は、ほめることの最終目標は、
「ほめてもらうために行動する子」を育てることではない
と思っています。
目指したいのは、
「前にやったらできたから、今回もやってみよう」
「失敗したけど、もう一回試してみよう」
「これは自分で決めたことだから、続けてみよう」
と、自分の中に行動する理由をもてる子です。
そのために、
日常の小さなよさを見つける**「基盤承認」**で心の土台をつくる。
そして、自分から動いた瞬間を見逃さず、**「挑戦承認」**によってその行動に価値を与える。
この二つを繰り返す。
私は、「ほめる」という行為の本当の意味は、ここにあるのではないかと考えています。
子どもをほめること自体が目的ではない。
子どもが、自分の力で次の一歩を踏み出せるようになること。
そのために、私たちは何を見つけ、何を言葉にして返すのか。
「今日、何をほめようか」ではなく、
「今日、この子のどんな行動に価値づけできるか」
そう考えて子どもを見ると、これまでとは少し違った姿が見えてくるかもしれません。


