ご自身の、ご家族の、「聞こえづらさ」を放っておきますか?
先日、当店のお客様で接客業をしている方から聞いた話です。
接客業で、毎日多くのお客様のお世話をしているAさん。
職場の仲間たちはAさんの聞こえのことを知っているので、
皆さん気を遣ってゆっくりはっきり話してくれたり、
肩をたたいて呼び止めてから話しかけてくれたりしているそうです。
聞き取りづらい時には、
「申し訳ありませんが、少々耳が悪いのでもう一度お願いします。」などと声かけをすると、
お客様もはっきり言いなおしてくれたりしているそうですが、
時には心無い言葉を浴びせられることもあるようです。
少しボソボソと話す年配の男性客に対応せざるを得なかったとき、
どうしても聞き取ることが出来ず、
補聴器を見せたうえで、
「大変申し訳ございませんが少々耳が遠く、聞き取りづらいのです、もう一度ゆっくりお願いできますか?」
・・と伝えたところ、あろうことか「バカにしているのか!」
などと大声で恫喝されてしまったと・・・・
(何だ大きい声だせるんじゃん)・・・(これは私の心の声)
悲しくて、もう仕事を辞めた方が良いのだろうかと考えてしまったそうです。
ここまで短気な人間はそうそう多くはないでしょうが、
難聴に悩む方々は少なからず同様な思いをされているのではないでしょうか。
難聴なのに接客業をするのがどうなのか・・・などの意見はそもそも見当違い。
様々な障がいがあっても、社会で活躍していける世の中こそ成熟した社会、
文明社会と呼べるのではないでしょうか。
マイノリティ、少数派を排除するのでなく、
尊重することを許容できる度量の大きさを持ちたいものです。
想像してみて下さい。
例えば海外へ出かけて、周囲に日本語ができる人が一人もいない環境。
何とかつたない英語で話しかけたら、
「何その発音おもしろい、変なんだけど!!」と、
ワザと真似されて大笑いされたら・・?
実に不愉快ではないでしょうか。
多様性ある社会で生きていれば、そのような対応は決してしないでしょう。
限られた狭い世界で生きていると、どうしても異質なものを排除する方向へ進みがちです。
視野を広くもっていきたいものですね。