鶴長洋一プロのご紹介
「贈って嬉しい、贈られて嬉しい」養殖ブリ(2/3)
常に挑戦する気持ちを忘れず、いい商品を作れば、必ず道は開ける
同社は1976年、鶴長さんの父親が創業。鶴長さんは幼いころから、養殖ブリやフグのために一生懸命働く父親の背中を見て育ちました。「『まずは体験が大事』というのがおやじのポリシーでした。養殖の仕方から出荷作業まで、中学生くらいから駆り出されてよく手伝っていましたね。『大きくなったら俺の後を継げ』と言われてきたので、将来は私もブリの養殖に携わるのが当たり前だと思っていました」
21歳で父親の会社に入社。28歳のとき、正式に父親から仕事を引き継ぎ、代表になりました。しばらくは順調でしたが、次第に養殖ブリの価格は低迷し始め、相場の暴落などもあって、2012年ころには、このままいくと会社がもたないという、窮地に陥ることに。
「ずっと普通のブリの養殖をしてきましたが、生き残っていくためには、他社とは違う何か独自の商品を生み出さなければいけなかった。美味しいブリがあるのだから、ひと工夫すれば、必ずうちにしかない、独自の商品が作れると思っていました」
そうして誕生したのが「ボンタンぶり」と「昇格ぶり」でした。「妻が阿久根出身でボンタンは身近な果物だったんです。飴などのお菓子が有名なので、『ボンタンぶり』と名付ければ語呂もいいなって(笑)。当初は県内のスーパーやホテルなどに営業してもあまり相手にされませんでしたが、発売して2年が経ったころ、東京の有名なホテルの総料理長から県庁を通じて『うちで仕入れたい』と連絡があったんです。逆指名ですよね(笑)。それ以降、右肩上がりで人気が出るようになりました。『昇格ぶり』の方は、東京の相撲部屋に飛び込み営業をしたところ、気に入ってもらった親方や力士の間で話題になりました」。これら二つの商品が消費者の心を掴み、少しずつ売上は伸びていきました。
経営が厳しいときに新たなチャレンジをするのは資金面も含め、非常に大変なこと。「だけど、何もしないで指をくわえているだけでは、落ちていく一方です。私たちは鹿児島の小さな業者ですが、常に新たな挑戦をして、いい商品を提供すれば、必ず道は開けると信じています」
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