土地の記憶と公共座標

疋田敬之

疋田敬之

テーマ:土地 建物 測量 相続

震災前、宮城県南三陸町の平成の森キャンプ場でオートキャンプをしたことがあります。
朝食を終えて高台から降りてくると、「みなと祭り」という看板が目に入り、立ち寄ってみました。
そこで地元の若い奥さんたちが振る舞っていたウニ丼は、驚くほど美味しく、あの時の味と笑顔は今でも忘れられません。
しかし、その後に東日本大震災が発生し、多くの方が犠牲になりました。
あのウニ丼を作ってくれた人たちの中にも、命を落とした方がいたのではないかと思うと、胸が締めつけられます。
津波で町がさらわれた後でも、もし公共座標で測量がされていれば、復興政策を考えるうえで大きなヒントになったはずです。
公共座標には、そうした「未来のための記録」という意味があります。
茨城県も被災地で、震災後に境界確認を依頼された土地の中には、構造物ごと崩れてしまった場所がいくつもありました。
そんな中でも、公共座標で測量された資料が残っていれば、復元のための確かな手がかりになったことでしょう。
福島県いわき市の市役所には、震災後「大地震は再び来る」というポスターが貼られていました。
土地の記憶を未来へつなぐために、公共座標の役割は決して小さくありません。
私は、東日本大震災で土地が激しく揺れ、構造物が倒れ、沈み、山が崩れる現実を体験しました。
海側では信じられないほどの津波が構造物をさらい、原子力発電所の蒸気爆発で降った雨は、水戸市にも放射性物質を運びました。
震災後に南三陸町、塩竈市、松島市を訪れたとき、道の両側には高く積まれた瓦礫の山が続いていました。
構造物が揺れ、動き、破壊されるという現実を、私は目の前で見ています。
あの日、お客さんの家で打ち合わせ中に大きな揺れが来て、危険だと判断してOさんを抱えて外へ出ると、目の前の山から真っ黄色の煙が空高く吹き上がっていました。
杉の花粉が木から一気に舞い上がっていたのです。
信号はすべて消え、道路脇の壁はあちこち崩れ、役所は停電で機能停止。
水戸へ戻る途中、塀は崩れ、橋は道路と10cmの段差ができ、車は勢いをつけなければ段差を越えられないほどでした。
多くの構造物が壊れてしまうような状況でも、
災害時にも動かない場所を記録しておくことは、
復興のために大きな意味を持ちます。

公共座標について学んでいる栃木会の取り組みの動画です。
また講師に高島さんは顔見知りでもありますが、かつて国土地理院に勤務されていて、NASAにも派遣されていた方です。
とてもわかり易い説明になっています。
3本に分かれていますがとても役に立ちます。
https://www.youtube.com/watch?v=hmwjIeM7mZ8

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疋田敬之
専門家

疋田敬之(土地家屋調査士)

土地家屋調査士 疋田敬之事務所

衛星及び電子基準点を使用したネットワーク型RTK-GNSS測量で引照点観測をした世界座標による地積測量図を作成することにより何世代を経過しても安心して境界杭を維持管理できるデータを提供します

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