映画 「ペコロスの 母に会いに行く」
今朝の「あさイチ」で、親の介護費用~についてやっていた。
全部は見ていないので 一部について。
「ある日突然始まるかもしれない親の介護のために
事前に親の収入や資産、身体が弱った時の望む暮らし方を
確認しておいた方がよさそう・・・・」とのこと。
この、“事前の確認”について。
個人的には、親が元気な時に話す「もしもの時の希望」は、
まず当てにあらないと思っている。
言い方はよくないけれど、
そこで出てくるのは、一般的に「きれいごと」。
よほど日頃からいろんなケースを想定して、
自分の性格(本性レベル)やらも認識して、この問いを掘り下げているか
あるいは、すでに達観した死生観をもっているか、
どうなっても、その流れに従うと 開き直れるか・・・などでない限り
実際に直面した状況の中では、なまじっかな希望を周りが聞いていたら、
かえってややこしくなる。
“もしもの時”というのは、ホントに“もしも”であって、
自分の人生には、全く取り込まれていない・・・というのが
父をみていても よくわかる。
今、毎日、母の介護をしている父でさえ、
“自分の時は”も、“自分だったら”も、考えていない。
何の根拠もないところで、自分は“コロっと逝く”と信じてはります。
テレや見栄でもなく、単純に純粋にそう思っているようです。
(ちなみに、渡してあるエンディングノートも、全~然書いてません)
顔を真っ赤にしながら、さらに晩酌を重ねる父に
「もうやめといたら」といってもきかず、ブチッときて、
「二人を介護せなあかんようになったら どうなるんっ!!」と言ったら、
「朝起きてこんと、コロっと逝ってるわ~」と笑う。
「・・・わかった!
・・・虫の息やったら、救急車呼ばへんから~」
「さすがに、口ふさぐまではせ~へんけど・・・」などと
密告されたらやばいような会話を、平然と食卓で交わしている父娘である。
話がどこにいくのやら・・・
えっとそうそう、
親の本音は、フツーにきいてもわからないということ。
なので、ヨソの家の話をする。
「○○さんとこ、お父さん亡くなってから、お母さんを息子さんが引き取りはってんて~」
「××さんとこ、誰もみられへんから、施設探してるらしいわ~」
などなど(すごい短絡な例でスミマセン)。
(お父さんやったらどうしたい?などとは 言わない)
「そらよかったな。」とか、
「なんやそれ」など
ぽろっと出る言葉に、他人事ならではの正直がでる。
もしもの時に、正直に添えるかはわからないし、
親も、親ならではの覚悟や見栄に添ってほしいと願うこともある。
そう、”正解”はないのである。
どちらかというと今までタブーとされてきたことを、
ちょこっと こっちに引き寄せておく。
そんなぐらいの心構えがあれば、まずは一歩前進~となるよう。
何度も言っているけど
どうしたって、“後悔はする”
と、私は思っているので。
せいぜい、日々憎まれ口を叩きつつ、
父の能天気をいじりながら、本音のコメントを拾いつつ
“できんことは無理”と開き直る、さらなる図太さと、したたかさを磨いている。