時代の求め
プラモデル好きな女性が増えていると、新聞の記事にあった。
「プラモ女子」というらしい。
(なんでも「~女子」と名付けるのはちょっと・・・とおもいつつ)
プラモデル、私も好きです。(でした。やな・・何十年とさわっていない)
昔 家にあった、父作のスポーツカーやオートバイ、戦車、五重塔・・・
どこにいったんやろ・・(物持ちのいい家なのに こればっかりは見当たらない・・)
小さい頃、父が家にゆっくりいることは、あまりなかった。(と思う)
たまの休みの日、多分、お風呂上りで 晩ごはんまでの間やったんかな、
記憶の中の父の姿は、揚柳(やったかな?)のランニングにステテコ。
お腹が弱いので夏でも“さらし”をぐるぐる巻いていた。
(う~ん まだ30代やったはずやのに このオヤジさは すごいなあ)
ちゃぶ台の上に新しいプラモデルの箱を置いて、
そろっと蓋を開けるのを 兄と一緒に横で“ちんっ”とおとなしく座って見ていた。
説明書と部品を照らし合わせるのには ちょこっと寄せてもらって、
後は、そろそろと部品を切り離していくのや、
セメダインでくっつけて行く作業を じっと見ていた。
あっ ゼロ戦も作っていたなあ
ピンセットで、はがした日の丸のシールを貼っていたところを 今思い出した。
(こういう“情景”に関する記憶は かなり鮮明にある。)
(役に立つことや、大事なことはあんまり覚えていない・・・)
どんどん仕事が忙しくなって、いつから父がプラモデルを作らなくなったかは
覚えていないけれど、
見てるだけだった、小さかった兄と私にとっては、
プラモデルを作るということは、
“とてつもなく難しくて 大人にしか出来ないこと”だった。
帰ったら、父とプラモデルの話をしよう。
新長田には、古くからのプラモデル屋さんがある。
あっ 父の誕生日のプレゼントにしよっかな。
(前々から考えていた母の誕生日とは違って
ついこの前の父の誕生日は、何のお構いもなしでした・・・)