親鸞聖人 御尊顔
地域情報誌「フリモ姫路12月号」に掲載してみました。
「生きた証しを形に残す 昔ながらの供養のかたち お墓は家族の拠り所」
このフレーズが頭に浮かび、なかなか頭から離れなかったのです。
ご承知の通り、現在供養の形は実に様々に多様化しています。
勿論、それはそれで時代の流れだと思います。
私は長年、霊園に勤務し数百件のお墓造りに関わってきました。
その中で、造る段階だけではなく、その後のお墓参りの尊さ、みたいなものを
お客様から教えていただいている思いです。
色んなお方からお話しを聞かせていただくのですが、
お墓参りをすると何となくいい事をしたような気持ちになるようです。
私もそうです。
私の親の墓もここ朝日山浄苑にあります。
人はお墓参りをするお姿から神仏を敬う、ご先祖を敬う、亡き家族、友人を敬う、
この「敬う」という感覚を学んでいるような気がしてなりません。
「敬う」という感覚を言葉や文字で人様(例えば我が子)に伝えるのは難しいと思うのです。
学びがあり、かつ自分も幸せな気分になれる。
そういう意味でもお墓参りは実に尊い行為だと思っています。
当浄苑には今日も色んな方々がお墓参りに訪れています。
先ほどのフレーズはここ朝日山浄苑に来られる方々を見ての私の実感なのです。