悲劇は喜劇より偉大である。
皆様方、お世話になっております。日々雑感を綴っております。
今回は『機関車』という冊子をご紹介したいと思います。
これは父親が6歳の時(1938年)に買った子供の科学という雑誌の付録で、父親が何度も何度も膨大な回数を繰り返し見た冊子になります。
全体は下記へアクセスしていただくことにして、いくつか抜粋してご紹介したいと思います。
(機関車)
https://smooooth9-site-one.ssl-link.jp/banyokagakukenkyusho230710/uploads/blog/29/66d24eba7ed0b29.pdf
表紙
上記にあるように表紙は赤色ですが、実際には下記が元絵だったようです。
(Presenting the Comet Streamlined Air Conditioned Train)
https://www.flickr.com/photos/boston_public_library/3530736245
エアコンが効いた、青と明るいグレーのツートンカラーだったようです。
当時日本では特急ですら非冷房、客車も愛想のない茶色一色でした。
いたずらきかんしゃ ちゅう ちゅう
これは私自身が子供の頃、『いたずらきかんしゃ ちゅう ちゅう』という絵本を良く見ておりました。そこへ登場した機関車が出てきます。当時大好きだった初代新幹線0系に格好がよく似ていていたので、特に印象に残っておりました。こうして見ると、新幹線も二番煎じのように思えます。
(『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』【心に寄り添う絵本と詩の世界】【Grandma’s picture Book Lab 】)
https://www.youtube.com/watch?v=a7VlCjsTLHs
座席で電話!?
更に車内、しかも座席で電話をかけている場面があります。
これは私がこの冊子を見始めた子供の時(1970年代)ですら驚きものでした。当時、鉄道車両内で電話が使えるのは新幹線ぐらいで、しかも客室内ではなく、デッキでした。しかもそれは携帯電話が普及するまで比較的最近まで続きました。となると、父親にとってはこの電話をかけている姿は驚愕そのものだったに違いありません。
なお、下記は1940年代のアメリカの特急列車の模型について説明ですが、客車の上に電線のようなものがあり、電話のアンテナだったと思われます。
(N Southern Pacific “Morning Daylight” Passenger Cars)
https://katousa.com/n-daylight/
速度は2倍、馬力は3倍!
ゼファー号のところに『ここに示したのはシカゴ~デンバー間を走るバーリングトン・ルートの”ゼファー号”である。電気機関車を2両つけて10両連結で、毎時130~160kmの速さで走っている。(日本の特急は毎時75~90km)。機関車はディーゼル電気機関車1800馬力である。』と書かれてあります。速度も2倍近くですが、機関車の馬力に至っては当時日本の主力、C55型蒸気機関車が1211馬力でしたので、1800×2=3600馬力と日本の3倍の馬力があったことになります。
レイモンド・ローウィ氏がデザイン!
不二家やナビスコのマークのデザインでも有名なレイモンド・ローウィ氏がデザインした電気機関車も載っています。美術好きだった父親には強烈な印象を与えたようです。私が大きくなってからですが、模型も購入し、時々親子で走らせておりました。
205kmの世界記録
ドイツからは1936年に速度205kmの世界記録を出したディーゼルカーが取り上げられています。アメリカ型とは違ったスマートなデザインに父親は魅了されたようです。模型も多数発売され、こちらも親子で走らせておりました。
親米国家だったはずなのに…
この冊子を改めて見て思うことは、大半がアメリカの話題であったことです。しかも子供向けの冊子です。それだけ日本はアメリカに関心のある、戦前から親米国家だったことの証ではないか?と思われます。ところが、この冊子が発行されてから、わずか3年少しで日米開戦を迎えます。
その原因の一つに満州国の存在があったと言われ、この冊子にも満州国の機関車が掲載されています。開戦により、アメリカは敵国となりましたが、父親はこの冊子を捨てずに持ち続けていました。