窃盗中毒病 クレプトマニア
初詣が近いということで、神社の成り立ちについての諸説を紹介してきましたが(自分なりの理解で)、弁護士業とはほとんど関係ないにもかかわらず、ページ閲覧数が上昇しているみたいで、ちょっと嬉しいです。マイベストプロの趣旨からはちょっと外れたかもしれませんが。
さて、これまで、神社の成立についての諸説、雨乞い雷説、火山鎮火説、航行安全祈願説を紹介してきましたが、今日は最後の、怨霊鎮魂説です。
古代日本では、人と神との区別が明瞭でなく、たとえば偉い人のことは「おカミ」と呼んでいました。
その偉い人が、恨みを持って死ぬような不遇な死を遂げると、怨霊になって祟ると信じられていました。
代表的なのは、出雲大社の大国主です。
大国主は、稲佐海岸で「アマ」族に「出雲の国譲り」をします。
本当は殺され、出雲大社で祀られたという考え方があります。
出雲大社のしめ縄は、他の神社と逆向きです。普通しめ縄は外界から神殿の中を守るための結界とされていますが、逆向きにするということは、中にいるものを外に出ないよう封じ込める意味があるとします。
普通の神社は、2礼、2拍手、1例ですが、出雲大社では4拍手です。これはもともと8拍手だったものを簡素化したという説もありますが、「4」という数字は、通常忌み嫌うはずの「死」の数字です。
他にも、普通は建物の中のご神体は正面を向いているのに、大国主のご神体は左、つまり朝鮮半島の方向を向いています。
現在の出雲大社は、あまり高くありませんが、平安時代の口ずさみでは、「雲太、和二、京三」と唄われており、当時の出雲大社が、大和の東大寺大仏殿よりも高かったことを示しています。
2000年4月に、太い大木を3本まとめて建てた柱の跡が発見され、雲を出るほどと言われた出雲大社の存在を示しています。
ちょっと話はずれますが、広島では、安芸高田地域を中心に、神楽が盛んです。
中でも有名なのは、八岐大蛇退治でしょう。
このモチーフについても諸説ありますが、私がとる説は、斐伊川氾濫説です。
中国山地から宍道湖に流れる斐伊川は、江戸時代に灌漑が進むまでは、日本海に流れ出ていました。
この川は、梅雨の時期にはよく氾濫し、農民を困らせていたようです。
八岐大蛇は、年に1回、村の娘を奪いにくるということですが、年に1回というのは、梅雨と一致します。
また、須佐男が守る媛は、櫛稲田媛ですが、名前からして稲がなる田んぼを連想させます。
さらに、斐伊川は、中国山地中の砂鉄が出る山間部から流れています。八岐大蛇の尾を切ったら草薙の剣が出てきた、という話と整合します。
他にもいろいろな説がありますが、ここでは省略します。
ちなみに、大宮などにある「氷川神社」は、「斐伊川」からきています。祭神は須佐男のはずです。
怨霊鎮魂説で次に挙がるのは、太宰府天満宮です。
太宰府は、大和や平安京の政府の出先機関と思われていますが、実際には九州地方と山口県西部を統治するこれ自体が政府のようなものだったと思われます。
白村江の戦いで敗れた後、天智天皇はわざわざ太宰府を守るために大野城と水城を築いており、太宰府の軍事的重要性が窺えます。
地政学的にも、筑前と筑後との境目であり、しかも山の間の峠ではなく台地で結ばれているのであり、極めて重要です。
太宰府と言えば、学問の神様とされる、菅原道真。
京都から太宰府に左遷されて、失意のうちに死んだとされます。
ということは、太宰府天満宮は、菅原道真が怨霊として祟らないために造られたものだと言えるでしょう。
次に、法隆寺。
法隆寺は聖徳太子が建てたというのが常識でしたが、近年は、聖徳太子の存在すら危ぶまれており、法隆寺は聖徳太子と呼ばれる人の死後、太子が怨霊として祟らないよう造られた、とする説も有力です。
ちなみに、昔は1万円札の絵柄に、聖徳太子がしゃくを持って立ち、両脇に少年が立っている絵柄が使われていますが、これが聖徳太子の絵ではなく、100年以上も後に想像で書かれたものである、と発表したのが私と同姓の今枝愛真という学者です。
服装や装飾が時代に合わないのだそうです。
大化の改新で蘇我氏を滅ぼし、蘇我氏がなした実績を担わせるために、聖徳太子という人物が作り挙げられたのだ、という説もあります。
蘇我氏は、「馬子」と「入鹿」で馬鹿、「蝦夷」は東北の野蛮人とされていた名前であり、蘇我氏は明らかに名前をねつ造されています。
そうすると、史実自体もねつ造されていても不思議ではない、というのです。
確かに、聖徳太子の伝説は、一度に10人の人の言うことを聞き分けたなど、非現実な点があります。
馬宿で生まれ、奇跡的な能力を発揮したという点では、イエス・キリストの話にも似ています。
中国の魏志倭人伝では、遣隋使小野妹子を使わしたのは後宮に多数の女官をはべらせる男王だったと記述があるので、推古天皇の摂政だったとされる聖徳太子とは整合性を欠くきらいもあります。
実は、蘇我氏が最大の権力者だったのかもしれません。
古事記・日本書紀では、神々しい実績を残したとされる聖徳太子のほかにも、軍事的にも英雄的活躍をしたとされる神功皇后や、ヤマトタケルは、即位しませんが、やはり伝説の説話で彩られた人物が即位したとするのは、はばかれたのでしょうか。