絵本に触れる・・・谷川俊太郎さんの「あな」
定期訪問している保育所で、いろんなクラスを観察している。
その部屋で、どんなおもちゃが用意されて、子どもたちがどうやって遊んでいるのかを見て回る。遊ぶ空間は、絵本やままごとのおもちゃがあって、静かに遊ぶコーナーと、身体を使って運動ができるコーナーに大きく分けられている。
主体性を育てる、遊びを大切にしようとする姿勢は、私が訪問しているどの保育所にも共通しているテーマである。
1年間0歳~5歳児のクラスを順番に観察してみると、それぞれの担当の先生の考えが見えてくる。
朝11時、部屋の端っこでは、小さいテーブルで食事をはじめていた。この保育所では、子どもが自分で食べられることに力を入れている。保育士が2名の子どもの食事を対面で見守る方法をとっている。子どもたちは自分でスプーンを使って口に運ぶ。よく噛んでいるか、口に入れる量が多すぎないか、など、丁寧に関わる。そのため、食事の順番を待つ間、他の子どもたちは部屋のコーナーで遊んでいる。
この日は、子どもたちへの関わりが子どもの発達に合っているのか、部屋の環境も含めて気づきを話し合ってほしいというのが主任からの依頼であった。
絵本とままごとのコーナーの畳の上に、小さなテーブルと、手作りの立方体の椅子が5つ置かれている。子どもたちは、椅子に座ってままごとの器を取り出して遊んでいた。まだ1歳の子どもなので、器に色のついたチェーンを入れたり出したりしている子と、動きたい子は木の車を持って床を走らせていた。保育士の先生が、棚の上に描かれた道路の上を走らせようと、誘導していた。2人の子が棚の上で車を走らせたけれど、おそらく自由に走らせたい子どもにとっては狭いのだろう、続かなかった。先生の声、「あ~交通事故が起きちゃった」。おそらく、道路の上をぶつからないように走らせる遊びをさせたかったのだ。
そんな中クラスの中で一番月齢が高く、身体も大きいA君がぶと、立方体の椅子を広いところに持ってきて、床の上に積み上げた。彼にしたら大仕事である。4つめの椅子(彼にとっては積み木)を積み上げると、ぐらぐらして倒れてしまう。ようやくうまく積み重ねると、彼の背丈と同じくらいの高さの塔ができた。彼はとても興奮して「見て!」と言わんばかりに近くに座っている私に視線を送ってくる。私も嬉しくなって「やったね!」という思いで頷くと、A君は向こうにいる保育士にも「見て!」とアピールをする。保育士からも「すごいね」と反応が返ってきてとても満足そう。
それを見ていた小柄で活発なB君がやってきて、その椅子を取りに来た。取られたことに気づいたA君は、必死で「まめ!(だめ)」と叫ぶ。おっとどうなるんだろうと大人側に緊張が走る。保育士が「貸して、でしょ」とB君に声かける。しかしA君はそれどころではない。B君の椅子を取り返し(A君の方が圧倒的に動きが速い)、「まめ、まめ」を連発して、4つの積み木の上に身体ごとのしかかって奪われないように必死で守っている。その様子を見た保育士は、貸すのは無理なのだとわかって、B君に声かけてなだめる。しばらくA君は用心深く自分の積み木を守っていた。
午後のカンファレンスで、このできごとについて保育士の先生と話し合った。A君は椅子に積み木を発見して積み上げる遊びを展開した。その楽しそうな姿にB君も近づいてきた。必死で守ろうとするA君から「まめ!」という言葉がでた。私の目には、A君の「まめ!(駄目)」は自我の芽生えとして映って、すごい場面に立ち会った感動すら覚えたのである。B君が登場して一瞬緊張場面になったのだが、椅子(積み木)をもう一つ出したらB君も遊べるのではと、私の頭に浮かんだのだが、保育士の考えは違っていた。
あれは椅子なので、積み木として遊んでほしくない。積み木として遊ぶおもちゃは別にあるので、それで遊んでほしいとのこと。そうなのか・・・。確かに棚の中に牛乳パックで作ったおもちゃがあった。だけど立方体の箱を見て、座るではなく、積むという可能性を発見したA君にとっては、「今、これを積み上げたい」のである。
この保育所では主体性を育てる目標を掲げて何年も取り組んできている。「子どもの遊びを保証する」という考えのもと、「大人は見守る役割」としてそこに居る。そのためのゆったりとした生活の流れ、環境を時間をかけて作ってきた。そして今、関わりを考える時期に来ている。この場面で何を優先してどう対応するのか、話し合ってみることで大きな問題が見えてきた。「見守る」とはどうすることなのだろうか?
こどもは大人がしつらえた環境で、いつも大人の想定を超えたことをしようとするものだ。イレギュラーなことから子どもは多くのことを学ぶ。ただ、そこにはリスクも伴う。限られた資源の中で子どもの自発的な遊びをどのように保証していくのか、いう大きなテーマにぶつかっている。


