木彫の阿弥陀如来像から始まる新しい祈りのかたち
仏壇のそばに、家族だったペットの名前を置くことについて考えたガラス作品の紹介です。
愛猫・愛犬の名前をガラスに刻むことの意味や、仏壇との距離感について綴っています。
宗教的な正解ではなく、想いの居場所としてのガラス彫刻という視点から書いています。
仏壇と、家族だったどうぶつの名前の居場所
ときどき、立ち止まってしまう問い
ガラスに名前を彫り込む作品を作っていると、
ときどき、こんなご相談をいただきます。
「仏壇のそばに、愛猫や愛犬の名前を置いてもいいのでしょうか」
※最初にお伝えしておくと、これは仏具屋でも宗教者でもない、
ガラスのものづくりに携わる立場としての、私個人の考えです。
専門家としての正解ではなく、ひとつの視点として読んでいただけたらと思います。
誰かに聞くほどでもないけれど、
ひとりで考えると、少し迷ってしまう。
そんな問いなのだと思います。
仏壇は、誰のための場所なのでしょうか
仏壇というと、
「人のためのもの」
「決まった形式があるもの」
そう感じる方も多いかもしれません。
けれど、もともと仏壇は
亡くなった誰かを管理する場所
ではなく、
想いを向けるための場所
だったはずです。
何を置くかよりも、
どんな気持ちでそこに向き合っているか。
本来は、それがいちばん大切なことなのだと思います。
名前を「祀る」のではなく、「とどめる」
愛猫や愛犬の名前を、
ガラスに刻んで残す。
それは、
お経をあげるためでも、
作法を守るためでもありません。
一緒に過ごした時間が、
確かにここにあったことを、
静かにとどめておくため
の行為です。
強く主張しないガラスという素材は、
想いを決めつけず、
見る人の心の変化を、そのまま受け止めてくれます。
同じ場所でも、違う距離でも
人の位牌のすぐ横に置く方もいれば、
仏壇の脇や、少し離れた棚に置く方もいます。
どちらが正しい、ということはありません。
・一緒に並べると落ち着く
・近すぎると、まだつらい
・まずは見えるところに置きたい
気持ちは、時間とともに変わります。
その変化に合わせて、
名前の居場所が変わってもいいのだと思います。
人とどうぶつの境界で迷うとき
「家族だった」という言葉がしっくりくる一方で、
「人と同じでいいのだろうか」と迷う。
その揺れは、とても自然です。
人でもなく、
ただのペットでもない。
その“あいだ”にある存在だからこそ、
形式に当てはめず、
自分たちの感覚で居場所を選ぶことに、意味があるのだと思います。
おわりに
仏壇に置いていいかどうか、ではなく、
その名前を、どこに置いておきたいか。
その問いに、静かに向き合うこと自体が、
もう十分な供養なのかもしれません。
このガラスは、
祀り方も、距離も、決めません。
ただ、名前と時間を、そっと残します。
仏壇のそばでも、
少し離れた場所でも。
その名前が、
あなたにとって無理のない居場所を
見つけられますように。
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