あなたの笑顔に逢いたいから~笑顔のお仏像「まんてん」
こんにちは。旭物産の成田です。
今日は仏像屋から見ての「お仏像は修復するものなのか」という命題についてお話ししようと思います。
ふと気づいたこと
なぜ、このことについてお話ししようと思ったのかと言いますと、
わたしは仏像屋として「お寺やお仏壇の中の古いお仏像を修復することに対して、特に抵抗感がないかもしれない」と気づいたからです。
「修復するものなのか」という「問い」に対し、わたしは「抵抗感がない」と感じていますが、一方で「修復しないほうが良い」という考えもあるに違いありません。つまり「お仏像を修復することに抵抗感がある」という立場ですね。
わたしに修復に対する抵抗感がないのは、わたしのところにご住職やお仏像をお持ちの方が「修復してほしい」という意思でいらっしゃるからです。わたしのところではそもそも「修復」を前提に話が進んでいくわけです。
ですが、お仏像というものに日ごろなじみがない方にとっては、お仏像を修復することに対する不安や、また違った気持ちがあるかもしれないと、ふと思ったのです。
それで改めて自分の気持ち、感覚を振り返ってみると「抵抗感がないかもしれない」と気づきました。
「触ってはいけない」
お仏像の中には「触ってはいけない」と言い伝えられているものがあると聞いたことがあります。
このような言い伝えは、ある特殊な種類のお仏像にまつわるものだったりします。
わたしはそうしたお仏像に出会ったことがありますが、やはり「触らないほうがいい」と感じました。見た目がいわゆる一般的な阿弥陀如来様などとは異なるので、なおさらそう感じたのかもしれません。
伝え方が難しいのですが、見ただけでギョッとしますし、醸し出す雰囲気に怖さを感じたのです。
お仏像にパワーがあるとかないとか、どんな基準があってそうしたものを感じるのかはわかりません。
ただ、そのお仏像を安置していらっしゃったお寺のご住職は「自分はまだこのお仏像を修復するには修行が足りない。だからこれからも一所懸命修行したい」というようなことをおっしゃっていて、それが印象的でした。
このような場合は持ち主の方も言い伝えを守り、これからもそういう古い仏像をすぐに修復することなく、大切に安置し続けられるのでしょう。
放置するとこんな可能性も
また、中にはご住職の固い意思で「修復しない」「お仏像に触らない」を貫いている場合もあります。
どんなときでも、まずはご住職がどうされたいかが優先ですので、もちろんそのご意思を尊重します。
けれども、仏像屋の視点から「このままの状態で放置しておくと、将来どんな可能性があるのか」などということはていねいに説明させていただきます。
お仏像の状態は、安置されていた環境によっても違ってきます。
傷み方はそれぞれ異なりますし、見た目になんともないと思えても、仏像屋の視点からすると、修復しないで放置しておくと心配な状況もあります。
たとえば、ご本尊様を支える台座部分は、とてもたくさんの部品が組み合わさってできているのですが、それを接着している膠(にかわ)の効き具合は、年月が経つと悪くなっていきます。これを放置すると台座や蓮華(お仏像が乗っている部分)がバラバラになりかねないのです。
わたしどもはそうした状況や可能性をていねいに説明しますので、お聞きになったご住職の気持ちが修復される方向に動く場合もあります。
そのほか、お仏像に触るとバチが当たるのではないか、と危惧されている方もいらっしゃいます。
持ち主の方の考え方もありますが、バチが当たると思うくらい真剣にお仏像のことをとらえてくださっているのかもしれません。
ただ、実際に仏像屋がお仏像を修復してバチが当たったことはありません。
それどころか、ご住職や檀家さん、家のご当主の方に大変感謝され、ときには感謝状やお米一俵をいただくことがあるくらいです。
それに、お仏像はわざわざ人間にバチを当てようとは思っていないと、わたしは思っています。
バラバラに
お仏像を修復するときには一旦仏師、すなわちお仏像を彫る職人さんがそのお仏像を、かつて彫られたときと同じような状態に戻します。
どういうことかと言いますと、修復する工程ではまず、お仏像の台座や後光はもとより、お身体もバラバラに解体するのです。
このバラバラになった状態を初めて見られた方はとてもショッキングに感じるかもしれません。
ですが、そもそも多くのお仏像は1つ1つのパーツを彫って組み立てているわけですから、
仏師さんがお仏像を彫ったときは、お仏像はもともとバラバラな状態だったのです。
お仏像をバラバラにすることはバチが当たるべきことではなく、その元の状態に「戻す」ことです。
バラバラに解体するのは、当たり前に、ていねいに修復する工程なのです。
後世に遺す
仏像屋として「今の自分にできる精一杯のことをしてお仏像を後世に遺すこと」がわたしたちの使命であり、お仏像にとって最適なことだと、わたしは考えています。
ある仏師さんから伺って印象的だったのが
「かつて自分が彫ったお仏像を、自分が死んだ後でも生き返って修復したい」という言葉です。
それくらい心を込めてお仏像を彫られているのでしょう。
実際にお仏像は仏師さんよりも長生きします。つまり仏師さんの死後も後世に遺っていきます。
ですから仏師さんが自分の彫ったお仏像を修復することはなかなかできないのです。それで「生き返って修復したい」という気持ちになるのでしょう。
わたしはこの言葉を聞いてお仏像の修復を、より使命感あるものだと感じました。
ですから、お仏像を修復するときは、お仏像を彫った仏師さんの気持ちになることにしています。
そしてもちろん、現世でお仏像を大切にされているご住職や檀家さんの気持ちを何よりも大切に考えます。
お仏像を修復すると、表面がきれいになるだけではなく、見えない内部の補強もしっかりされますので、まるでお仏像の体内年齢が若返るようによみがえります。
もし、目の前のお仏像に何もしないと、やがて朽ちていき、いつか原型をとどめなくなってしまうかもしれません。それよりも、できるときにしっかり修復したほうが、安心して後世に遺すことができると、わたしは思います。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。
また、次回お会いしましょう。