薪ストーブを選ぶ前に知っておきたい二つの価値ー贅沢な時間を演出するための調度品としての価値
薪ストーブを導入したい、という動機を効果的に整理するために、対極的な二つの価値として、これまで「調度品」(鑑賞側の価値)として、そして「暮らしのための生活道具」(実用側の価値)としての薪ストーブについて、それぞれ解説してきました。
これまで紹介してきたとおり、もしご自身が薪ストーブにどちらかの価値だけを求めているということが明確であれば、それぞれに存在する若干の注意点について留意するだけで、後悔のない薪ストーブ選びを成就することは、それほど難しくないと思います。
しかし前回すでに述べたように、実際にはこの二つの対極的な価値を巡る動機は相互に関連していて、鑑賞目的で炎を日常的に愛でたいがために、鑑賞のみでは実際にはクリアーできない日常運用のためのハードルを越えさせるために、具体的な実用性をも同時に求めるというような複雑な状況にあります。
結局のところ、よほどの嗜好性ないし特殊な状況(薪が凄まじく豊潤にある、あるいは煙をいくら出しても構わない等々)がない限り、「どちらかの価値」に特化した薪ストーブでは、通常の人の薪ストーブに対する欲求を結果的に満たすことが出来なくなると思われます。
真理めいた原則を言えば「過ぎたるは及ばざるがごとし」、鑑賞側の価値、実用側の価値、どちらの価値を求めるにしても、実際に求めるには、どの価値も「ほどほど」でバランスが取れている方が使いやすい、通常の人の欲求は基本的に満たされやすいわけです。
では「ほどほど」でバランスが取れている薪ストーブの正体とは、どういうものなのか、具体的にどこを見ればわかるのか?これがシリーズ最終回の今回のテーマです。
薪ストーブが面白いのは、何か特別な実用装置に見えながら、人類として蓄積して来た普遍的、根源的な判断基準や考え方がそのまま使えるところです。それは「ほどほど」の問題でも同じです。世の中にはいろんな装置・道具・器具・機械が存在しますが「ほどほど」のために使いやすいという実例には、どういうものがあるでしょう?
「名機」として多くの人が運用に関わり、評価が定まりやすい機械の例として、ゼロ戦だとかYS-11だとか、飛行機が有名ですが、他には鉄道がわかりやすいと思います。この本、図書館などにあるかと思いますので、ぜひご一読を。
新幹線をつくった男 島秀雄物語
主に戦前から戦中にかけて製造され、1975年まで実際の鉄道運行に活躍し続けた蒸気機関車は、1965年頃においても全国各地の機関区に配備されてシビアな定時運行を担っていました。長年の運用の中でずっと、そして最後の時期に至るまで、現場の機関士達は相互にこんな要望を言い続けていたとされています。
「そっちにデゴイチはないか?デゴイチを回してくれ」
昭和11年から昭和20年にかけて1115台も生産されたD51型蒸気機関車、通称デゴイチは、初代新幹線を設計した島秀雄氏が昭和10年に設計した車両で、現場の人間に一番愛された、もっとも扱いやすい蒸気機関車でした。
その設計思想は、狭いレール幅、低コスト命題という中でも求められたスピード、パワー……これらを決める要因を限界まであえて求めず、一歩手前で止めて、日常の使い勝手の良さ、保存しやすさを優先するという「中庸の美学」と言われるものでした。
「保守、修繕作業がやりやすいように、微に入り細に入り、無駄を省いて設計されていた」
蒸気機関車に限らず、ずっと愛されて使い続けられる実用機械は、この特徴を持っています。どの実用機械も、もちろん保守修繕は想定されていますが(あるいは、最初から保守修繕を想定しない使い捨て)、実際の現場で圧倒的に愛される実用機械の保守修繕のやり易さは「断然」「圧倒的に」というレベルなのです。
なお、そのような圧倒的に優れた実用機械は「設計した人」そのものが現れている製品でもあります。とても優れた製品の裏には、必ず優れた、それも並外れて優れた設計者がいるものです。上記の本の主人公、島秀雄氏は、まさにそういう人物でした。
薪ストーブは、蒸気機関車ほど多数かつ複雑高度な要素を持つ実用機械ではありませんが、それでも実際問題、かなり複雑高度な要素を抱えています。その組み合わせの妙、設計者の技量差が、実際の場面での使い易さを大きく左右します。薪ストーブでも設計者、その設計思想は極めて重要です。
この設計思想には、いわゆる「ブレイクスルー」も含まれていて、優れた技術革新は、従来複雑な機械の組み合わせだった状態から、よりシンプルに、使いやすい状態に、機械の構造自体を大きく変えていくことがあります。実用機械としてのシンプル化が機械の常識を一変させた例としてはクォーツ時計が有名です。
このように、設計思想の中で「保守修繕」というのは単なる一要素というより、実は「中庸の美学」的に、各要素のバランスを取りながら、日常で使いやすいことを最優先に、追い込み過ぎない、無理をしないという設計思想が支配的であれば、結果的に保守修繕において優れることになります。
そういう設計思想に、さらにブレイクスルー、革新的なシンプル化が加われば、結果的に「きわめて維持管理のやり易い、長持ちする機械」になります。薪ストーブの世界でも、そのような例が実際に存在します。すでに30年以上の実績を持っています。
「いや、薪ストーブなんて、基本的に鉄の箱の中で炎を燃やすだけで、違うといっても、結局はどれも似たようなものなんでしょう?……だったら窓ガラスが大きくて、炎がより立派に見えるものが良いじゃない?」
はい、仰ることもよくわかります。もちろん、たとえば窓ガラスが非常に大きい薪ストーブには、それに相応しい「とっておきの価値」(「調度品としての価値」)がありますし、その「特化した価値」さえ満たされれば基本的にあとは後悔しないという覚悟であれば、全然問題ないと思います。
しかし、薪ストーブの実際の使用上では、いろんな要素は相反するものなのです。「調度品」ではなく「暮らしのためのストーブ」としての使い勝手を重視されたいのであれば、ガラス窓が大きいことについて、手放しに「良いですね」とは言い難い部分も少なくとも原理的に出てきます。
暮らしのための薪ストーブのガラス窓は小さくなければならない?
以上、まとめますと、特定のスペックを強調した製品は、それほど「使いやすい」とはいきません。何か一つの特性を引き立てるためには、そのために、他の部分はどうしても犠牲になるためです。特殊用途として割り切るなら別ですが、日常を共に過ごすなら、犠牲にされた他の部分の問題によって、なかなかストレスが貯まることになること請負です。
これは薪ストーブでも全く一緒です。多くの部分で平均的なものより相当優れているという日常的に使いやすい薪ストーブは存在しますが、ある特性においてだけ突出して、圧倒的に優れていて、なおかつ日常的に使いやすい薪ストーブは、実際のところ存在しません。
例えば「火がつけやすい」「すぐに使える」ということで日常的に一見使いやすい、ホームセンターの激安薪ストーブも、その特性が圧倒的に引き立てられている一方で、例えば煙モウモウという負の側面がありますから、近隣の問題、あるいは煙道火災の安全性の問題から、本当の意味で使いやすい、少なくとも普通の人にとって普通に使いやすいとは言えません、
結局はやはりバランスなのです。各要素を知らなくても「調度品(炎の美しさを愛でる)価値」と「暮らしのための実用品としての価値」この二つのバランスということで構いません。それで細部の各要素が高度なレベルでバランスしています。それは特徴としては保守修繕(メンテナンス)において非常に優れた薪ストーブにもなります。設計者による中庸の美学や、技術革新に裏打ちされていますから。
ただ残念ながら、そのような薪ストーブは、デゴイチがそうであったように、実際に使っている人からの評判はすこぶる良好で、長く愛用されているのですが、何か自慢できるような特徴としてはあまりないので(少なくとも自覚されていない)、なかなかネット情報などでも出てきません。
しかし、注意深く「これがいい」というプロやそれに準じる知識経験のある人のお勧め情報、しかも、商売的な事情(薪ストーブの販売代理店は、普通の方の想像以上に、関係性のしがらみの中にあります)に縛られていないプロのお勧めを調べていくと、けっこう口をそろえて名前が挙がるメーカーや機種があります。
ですので、逆に言えば、まず保守修繕、メンテナンスのやり易さ、頑丈で寿命が長いとして評価が高いことを一つの目印にして薪ストーブの機種をお調べになってみて、その中から、さらに特徴には乏しいけどバランスに優れているとされている機種をピックアップなさること失敗のない選び方の肝です。
その上で、ピックアップした薪ストーブの中でどれが「調度品」としての価値寄りなのか?「暮らしのための実用品」としての価値寄りなのか?そこをご自身が薪ストーブに一番期待している価値と照合されれば、長く愛することが出来る、後悔のない薪ストーブ選びができます。
以上、今回も長いシリーズとなりましたが、華やかな宣伝や表面的な印象だけに惑わされることなく、もう一歩踏み込んだ「どうなんだろう?」という視点が大切ということです。
本当に大切なことは見えにくく、一方で、商売なり「大勢の人に支持させる」ことを成功させるためには、いかにもわかりやすい特性をやたら強調するのが最も効率的です。そのため、そこにだけ注力されて、実際の暮らしにおいては幸せをもたらし難いものが選ばれやすいのが常ですから。
本コラムは、また別のテーマでも同様の問題意識で解説を進めてまいります。またどうぞお付き合いくださいませ。