~士衛塾空手を通して、伝えたいこと 3 ~
~士衛塾空手を通して、伝えたいこと~
士衛塾山梨の門下生に向けた、私からのメッセージを過去のニュースより転載します。
2018年1月、2018年鏡開きのあいさつより
2018年の年頭にあたって
昨年は、士衛塾山梨へのご理解、ご協力、誠にありがとうございました。ご協力いただいた全ての皆様に、心より感謝と御礼を申し上げます。
「類は友を呼ぶ」ということわざがありますが、適当な人の周りには適当な人が集まり、悪い人の周りには、悪い人が集まります。同じようなことをしている人たちは、話が合うので仲間になりやすいということです。
一般的に、例えば、部活では上手な人どうしや、下手な人どうしが集まりやすいものです。もちろん性格があう、あわないもありますが、自分よりはるかに実力のある人たちの中では、自分が劣った存在に見えるので居心地がわるいものです。そこで、自分と同じくらいの人と集まりやすくなります。
なかには、自分がその中で一番上になって偉く見せたいために、自分よりも下の人の仲間になる人もいます。空手でも同じことがいえるでしょう。
そして、一生懸命取り組む人の周りには、一生懸命な人が集まります。
ただし、一生懸命に取り組もうとする人には、必ず「そうはさせない」と足を引っ張ろうとする人もいます。こういう人の意見を聞き入れず、前を向いて走る人は成功していくのでしょう。
成功したかったら、成功者の話しを聞いてください。そして、実践してください(聞いているだけでは、何の行動もしていないのと同じです)。
試合だったら「勝った人」を見てください。「何であの人は試合に負けたのか?」ではなく、「どうやって勝ったのだろう?」と、勝つための方法を考えてください。強くなりたかったら、強い人と戦ってください。自分より弱い人と戦ってばかりでは、相手は強くなっても、自分自身は強くなりません。お山の大将は気分は良いですが、いつか追い越されます。
いつも生徒の皆さんには話していますが、黒帯になりたかったら、実力・強さは別にして、日常の行動や考え方で「黒帯と同じことをしてください」。「黒帯になったら・・・」では遅いです。なる前に、同じことができることが大事です。だから「認め」られるのです。「・・・たら、・・・れば」は必要ありません。目標に向かっている時に、「言い訳」は必要ありません。やらない、できない理由を考えるのに知恵を絞るなら、「困難な中、どうやったらできるか」を考えてください。言い訳ばかりしている人は、結局「何の行動もしていません」。
皆さん、「普通」という言葉が好きな人が多いのですが、この「普通」が、一番難しい。良くもなく、悪くもなく、頑張り過ぎず、頑張る。ちょうど中間ぐらいを目指す。試合でいうと、優勝はしてはいけない。3位くらいで留めておく(笑)。
これからの時代、ますます格差が広がってきます。普通に公立高校に行って普通に公立大学を出れば、普通に就職できる。そして普通に生活ができる・・・なんて幻想です。いまや歯科医師でさえ倒産は当たり前、5人に一人は年収300万円以下のワーキングプアの時代です。
「普通」にやっていたら、将来は貧困層です。私たちの時代は、まだそれでも這い上がれましたが、いまは無理です。一度、貧困層に落ちたら這い上がることは出来ません。努力がどうのこうのではなく、世の中の仕組みがそうなってしまいました。
いまは国際化社会です。日本の高い賃金の労働者は要らないのです。賃金の安い国でつくれば良いし、外国人労働者を雇えば良いし、正社員ではなく、非正規雇用を増やせばいい。
だからこそ、一生懸命に取り組む人、我慢できる人、あきらめない人、上を見ることができる人が大事です。これ、みんな空手で教えていることです。
これからは一生懸命に取り組んでやっと「普通」になれます。さらに上を目指したかったら、小さい頃からの、成功体験が大事です。ただし、その陰には、その何十倍もの失敗も体験します。これを乗り越えることが、大人になった時に大事な「力」になります。
試合でもそうです。勝った時より、負けた時にどう考え、その教訓を、どう「次」の行動に生かすかです。試合の勝ち負けだけがすべてではありません。試合で何を学ぶか、それを日常(練習)にどう役立てるか。
「たかが」空手、「されど」空手です。武道とは、人生の縮図です。色帯(未成年)で、失敗しながら、黒帯(大人)になるために様々なことを学び、黒帯になった時に自分で考え、立派に自立できることです。そして、黒帯(大人)はゴールではありません。ここからが本当の自分自身の始まりです。
保護者の皆さまのご協力があってこそ。ぜひとも今後ともご理解、ご協力の程、よろしくお願い申し上げます。
重ねて本年も、何卒よろしくお願い申し上げます。
新國際空手拳法道 士衛塾山梨 支部長 師範 伊藤龍吾