「ゴールデンウィークの憂鬱」について
「うつとは何か~その1 進化論の視点から」について、エフエムいみず(79.3MHz) の私の番組、「心に元気を!大人のメンタルヘルス」(11月2日水曜)で話しています。
今月から、うつを色々な角度から取り上げお話ししたいと思います。(注:「うつ」の定義は、ここでは簡単に、「持続する気分の落ち込み」または「興味・関心や楽しい感情の喪失」とします[詳しい定義については次回以降に述べます])。
まず、うつを考えるにあたり、私の基本的な立場を述べます。それは、一つは、うつは誰でもなりうるということ、二つは、うつにはいい意味での意義があるということ、です。
最初にうつの歴史ですが、一言でいえば人類の歴史と共にあるといえます。記録に残っているものだけでも、キリスト教の旧約聖書にその記述があり、また、紀元前10世紀位に生きた古代ギリシャの詩人ホーマーの著作にもうつが現れています。更に、紀元前4世紀に生きた医学の祖と言われるギリシャの医学者ヒポクラテスは、「うつ」と「そう」を学問的に初めて記述しています。
この様に、うつは人類の歴史の中ではるか以前からあると共に、今もなお、人類の中で文化を問わず高い頻度で出現しています(出現頻度については、次回以降に詳述します)。
このうつの普遍性から、うつを単に精神疾患ととらえる従来の考え方に疑問を投げかける研究者がいます。それは、進化論の立場から精神医学や心理学を考える学者達です。彼らの主張は次の通りです。
チャールズ・ダーウィンが提唱した進化論の立場に立てば、生物(人類も含む)の生存にとって不要なものであれば、とっくの昔に消滅しているはずである(いわゆる自然淘汰・適者生存)。しかし、うつの場合そうではない。とすれば、うつにはその心理的な症状の苦しさに関わらず、何か人類の生存のために意味・意義があるのではないか。
進化論の立場からすれば、うつの意味・意義の一つは、それは過剰な外界のストレスから身を守る自己防衛である、ということです。つまり、人間関係などによる過剰な外界のストレスにそのまま対応していれば自滅してしまうところを、内にこもることによって外界のストレスから一時的に自らを遮断し、心的エネルギーを保存する反応である、ということです。
言い換えれば、うつを病理的な精神疾患ととらえるのではなく、「適応機制」ととらえた方がよい、との考え方です。
(余談ですが、進化論の提唱者チャールズ・ダーウィン自身がうつだったと指摘する学者がいます。それによれば、ダーウィンはうつだったからこそ、日常の雑事に煩わされずに種の起源の著作に集中できた、というものです。何かオチのような話ですが。)
私自身は、このうつのとらえ方(「うつは短期的には非常に苦しい体験だが、長期的には生存にとって有意義な体験である」)は興味深いし、理にかなっていると思います。
少なくとも、うつを単に苦痛で意味のないものととらえる見方は、うつになった人にとって、うつはそれこそ単に「無意味な」体験となってしまうことになります。それよりは、うつに意味や意義を見い出す考え方の方が、「せっかく」のうつの体験をこれからの生活に意義のあるものとする、それこそはるかに「意味のある」とらえ方といえます。
更に詳しい内容はエフエムいみずのインターネットラジオで聴くことができます。
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なお、この番組の最後に流れる曲、「心」(釈 敏幸作詞・作曲・唄)については、以下のYouTubeで全曲が
聴けます。釈 敏幸さんは、統合失調症を抱えながら音楽活動を続けていらっしゃいます。
http://www.youtube.com/watch?v=c4PXxh3raLU
うつ心理相談センター
心理学博士 村田 晃