「社員を壊す」経営者
なんという酷暑
小学生の社会科で
日本は「温帯地方」と習ったはず
亜熱帯いやいや熱帯地方!?
変わりゆく世の中
変わらない本質・・・
逆シングル
またまた高校野球の話だ
第100回大会の夏の甲子園がが始まった
(このコラムを書いているのは
8月6日・・・まだ2日目)
平成最後の夏を
最も長く
しかも笑顔で終えられる学校は
6強と言われるいずれかなのか否か
(大阪桐蔭・智辯和歌山・花咲徳栄
龍谷大平安・横浜・浦和学院)
勝負の行方はさておき・・・
本当に高校野球の佇まいも
私がやっていた頃とはずいぶん変わった
*ヘルメットが両耳あて
*打席では手袋やレガース
*水分補給(の仕方)
*うさぎ跳び(廃止)
*筋トレ(器具も方法も)
・・半端ない打高投低
*ユニホームの着方
(oneサイズ小さめをピタッと)
*ラッキーゾーン撤去
*投手の複数人制
*延長戦のイニング数(18回➡15回)
そして今や13回でタイブレーク
*投手にアイシング
*右投げ左打ちの急増
*選手宣誓の長さ・・・etc
しかしそんな中
何より変わったと
個人的に強く思っているのは
内野手のシングルキャッチ
さらに言うと「逆シングル」!?
例えばショートは
ややサードよりのゴロを
グラブの可動範囲や投球動作を加味して
無理せず「逆シングル」キャッチ
私たちの頃なら
横柄で横着で小生意気にみえたそれが
今や推奨される華麗なプレー
効率や合理性・・・
確かにそれはそうだけど・・・
こういうのって
世の中や職場(仕事の仕方)に
見受けられたりしませんか?
かつての非常識が
スタンダードになってたりって
不易流行
不易流行とは
「いつまでも変化しない
本質的なものを忘れない中にも
新しく変化を重ねているものをも
取り入れていくこと。
また、新味を求めて
変化を重ねていく流行性こそが
不易の本質であること」
Googleより
▪野球は点を多く取った方が勝ち
▪点を取られなければ負けは無し
基本的なルール(本質)は
何一つ変わっていないのに
そのスタイルは随分変わった
そして
このデジタルでテクノロジーに
支配されている世の中にも関わらず
「甲子園」でのアナログ的な感動は
一段と輝きを増しているような気がする
きっと「不易流行」を
実直に推進(推奨)したからではないだろうか
働き方改革
一方 昨今の「働き方改革」
どこかで「働き方改革=休み方改革」といった
流れにシフトしてはいないだろうか
少なくとも「空気感」としては・・・
しかし高校野球の変遷がそうであったように
「本質」を見失わない姿勢の上に
新しいモノや変化を
受け入れているだろうか
「100回目の本気の夏」
なーんて青臭いことが
真正面から言えてしまうような
そんな「本質の追求」が
働き方改革のそれにはあるだろうか
働き方改革の「本質」って何なんだろう
働くことのゆるぎない「ルール」って
いったい何なんだろう
考えさせられる「平成最後の夏」だ⚾
ビジネスの匂い・・
とそれっぽく書いては見たものの
「高校生が行う野球」という域を超えた
『甲子園』という巨大なビジネス産業
(と化してないだろうか)
そこに蠢く大人たちの企み
少しばかり
盛り上げ過ぎの
浮かれ過ぎ・・・
ここのところ目に付く
昭和おやじたちの
見苦しいまでのエゴと失態
(アメフトやボクシング等々)
戦後の軍隊思考~体育会系独特の
「気合いと根性」のタテ社会
異常なまでの強権や傲慢
どうやら平成という30年間で
上記の「昭和の膿」や
様々な古き悪しき慣習が払拭され
終わりを告げる時なのかもしれない
そんな意義も
この「平成最後の夏」には
含まれているのだろうか・・・
どうか「甲子園」だけは
大人たちの醜いエゴや醜聞や失態に
汚されることのないよう
祈るばかりである
うぶ
変わったものの一つに
「選手宣誓の長さ」を入れましたが
私の頃は全国どこでも
版を押したように
「我々選手一同は
スポーツマンシップにのっとり
正々堂々と戦うことを誓います」
だったかと・・・
大人になることを
意識もしていなかった
うぶな写真で締めくくりたい
37年前の群馬県予選の開会式にて