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今日は「相続」にかかわるお話し。
作曲家 古関裕而さんをモデルにしたNHKの朝ドラ「エール」を毎朝楽しみにしています。
私の父方の祖父は福島の出身です。その祖父の弟に作詞家「丘灯至夫(おかとしお)」がおり、同じ福島出身。
丘灯至夫も古関裕而さんと同じコロムビアレコードに所属し、「作詞 丘灯至夫、作曲 古関裕而」という曲がいくつもあります。
そんな個人的な縁からも勝手に親近感を感じています。
「作詞 丘灯至夫、作曲 古関裕而」の有名な曲には「高原列車が行く」という曲があり、JR磐越西線川桁駅前に歌碑があるそうです。
ちなみに、丘灯至夫の作詞した中には我々世代でも馴染みのある曲があります。
「ハクション大魔王の歌」
そう、あの「くしゃみひとつで呼ばれたからは…」で始まり「ハ、ハ、ハクショ~ン大魔王」のあの歌です。
(ここからは「ネタバレ」を含みますのでご注意ください)
さて、そのエールの第11週。
呉服屋で生まれた主人公の裕一は音楽の道を志し、長男でありながら実家を出て東京で生活するようになります。
実家の呉服屋「喜多一」は弟の浩二が継ぎました。
弟は、自分勝手な夢を追いかけて実家を捨てて家を出た兄を快く思っていませんでした。
なかなかヒット曲に恵まれなかった裕一でしたが、数年後に「船頭可愛や」が大ヒットします。
その裕一は小学生時代の恩師に福島の新設小学校の校歌の作曲を依頼され、その校歌を披露する会に出席するため、福島に凱旋します。
一方、実家の呉服屋は既に店を閉め、後を継いでいた浩二は役場に勤めるようになっていました。
実家に寄った裕一は家族から「父はがんに侵され、もう長くない」と告げられます。
寿命を悟った父・三郎は裕一に「承諾して欲しいことがある」と話します。
いよいよ死期が迫った父は次男である浩二を枕元に呼び、
「店を継いでくれてうれしかった。喪主はお前だ。喜多一を継いだ奴がこの家の主だ。家も土地も全部お前が引き継げ。裕一も承諾している。」
と告げます。
「お前らのおかげでいい人生だった。ありがとう」と話し、兄弟のわだかまりも解け、父・三郎は息を引き取ります。
さて、この時代。昭和10年代のことです。
昭和22年に日本国憲法が施行され、新たな憲法の下では「法の下の平等」がうたわれました。
兄弟間でも平等に扱われることとなり、民法も改正され「家督相続」の制度は廃止になりました。
民法改正で家制度が大きく見直されましたが、それまでは長男がすべて相続する「家督相続」が一般的に行われていました。
この当時、こうした形で長男以外が相続するためには被相続人による指名や親族会議による選任が必要でした。
父・三郎は家を継いでくれた次男・浩二にすべての財産を相続させ、共同相続人となる長男・裕一の合意・承諾を得ました。
結果として父・三郎の「家督相続人を次男・浩二とする」という指名で兄弟間のわだかまりも解け、家族間の争いを避けることができました。
円満な相続においては、お亡くなりになられる人(被相続人)が遺される人(相続人)にどのような想いを抱き、後をどのようにして欲しいかという意思表示がとても重要になるケースが少なくありません。
かつては「家督相続」という形で場合によっては生前に家督を譲り、本人は隠居するということもありました。
いま放送されている大河ドラマ「麒麟がくる」でも斉藤山城守(のちの道三)が「長男高政(のちの義龍)に家督を譲る」と家臣たちを前に宣言するシーンがありました。
その後父は頭を丸め仏門に入り、道三を名乗ります。
家督相続は被相続人が指名しない限り長子に相続されることが原則でした。
「エール」で父・三郎が行った長男への説得と家督相続人となる次男への伝達は「円満に次の世代に財産を引き継ぐ」という意味で見事な行動だったと言えます。
裕一の夢の実現を誰よりも応援していた父で、それも次男・浩二には面白くなかったでしょうが、最期に自らの行動で家族を丸くまとめた姿に感銘を受けました。
相続対策の重要性
相続対策は相続が発生する前に「どのようにすれば残された家族が円満で居続けられるか」ということを考え、必要に応じてそのための準備をしておく必要があります。
「家督相続」という制度がなく、兄弟姉妹間でも「平等」が当たり前になっている今だからこそ「相続対策」の必要性も増していると言えます。
コロナウイルスの影響で撮影が中断し、「エール」も「麒麟がくる」もついに中断となりましたが、再開を楽しみにしたいと思います。