【誰のために料理する?何のために料理する?】ある日の料理教室からー美味しさのループ
「本当に豊かなことはお金はかからない。時間と手間をかけることが、いちばんの贅沢なんだ」
これは、私が尊敬しているプロダクトデザイナー・水戸岡鋭治先生の言葉です。
先生は子どもの頃、岡山の疎開先で暮らしていたそうです。藁ぶき屋根の平屋で、水道はなく、トイレは外。
決して豊かな暮らしではなかったといいます。
そんな中、今も鮮明に覚えている光景は、お父さまが家にいる日のお昼になると、わざわざ庭にテーブルを運び、クロスをかけ、器を並べて、家族で食事をしたこと。
食べるものは、特別なごちそうではありません。それでも、その時間がとても楽しく、今でも憶えている。「手間をかけて準備し、同じ時間を過ごすこと自体が贅沢だった」
そのお話は、料理を仕事にしている今の私の胸にも深く残りました。
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私がパリの料理学校に通っていた頃、フランス人シェフのレッスンに、通訳として入っていたアメリカ人の女の子がいました。
ある日、みんなで試食をしているとき、彼女が言います。
「料理って、長い時間をかけて作っても、食べるのはほんの10分で終わっちゃうでしょう?それってつまらないと思わない?」
料理にあまり興味がない人にとっては、きっと自然な感覚なのだと思います。時間をかけるわりに、形として残らない。効率で考えれば、たしかに割に合わない行為かもしれません。
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それから20年以上が経ち、今料理を教える立場になり思うのは、料理は決して「手間のかかる本格料理」を作ることだけを指すのではない、ということです。
たとえば、いつもは買ってきてしまうオムライスを、たまに自分で作ってみる。それだけでも、意外な発見があります。
市販のお惣菜は、誰が食べてもおいしく感じるように、少し甘くて、少し味が濃いめに作られています。
でも自分で作ると、ケチャップライスとオムレツのバランスを変えてみたり、今日は少し薄味にしてみようかな、と思ったり。小さな選択が自然に生まれます。
料理が得意かどうかは関係ありません。レシピを完璧に再現できなくてもいい。卵が少し焦げていたっていいんです。
料理が苦手だと言う方ほど、「ちゃんと作らなきゃ」と思いすぎている気がします。でもほんの少し自分の感覚を使う時間があると、料理は義務から、ちょっとした遊びに変わってくれます。
1週間のうち、日曜日のランチだけ作ってみるのはいかがでしょう。そしてできたてアツアツを一緒に食べてくれる人がいたら、楽しさはきっと2倍になります。
時間と手間をかけることは、特別な人だけに許された贅沢ではなく、毎日の生活のなかにほんの少し差し込める楽しい遊びだと思うのです。
流行りの‘’時短‘’では味わえない感覚です。
次回は、そんな「ちょっとした違い」を生む、材料や扱い方の話をしてみようと思います。



