法人記念品の王道アイテムは?昭和の終わりに誕生していた賜物
おいしい玉露も、高級記念品も。〜感謝の意の本質について〜
本当は何に対するお礼だったのか
秘書時代の経験値から
まだとても若い時代、もう何十年も前の昔「偉い人」といわれるお客様が訪れるアトリエで仕事をしていた時期がありました。秘書というお仕事でしたが、今でいうバリキャリなイメージとは異なり、その場に訪れる客人のおもてなしをするために、毎日ピカピカ掃除は欠かさず、また、おいしいお茶やコーヒーをお出しするということも大切な業務の一つでした。
あの時代の修行というか経験値が、現在の法人記念品の仕事に役立っていることはもちろん、当時の何気ない記憶が今になって懐かしく蘇り、大事な気づきをもたらしてくれることがあります。
「おいしい玉露をお出ししてください」
ある日、仕えてていた社長兼デザイナーから「明日、元最高裁判所長官の〇〇先生がお越しになるので、おいしい玉露をお出ししてください。とても偉い先生なので丁重におもてなしを」と、突然振られました。どうしよう、いやだなという思いが率直に胸をよぎりました。
おいしい玉露。お湯の温度は低めが良い、くらいの知識はありましたが、今のように検索で何でも調べられる時代ではありません。まったく自信がありません。しかも、とても偉い先生と言われても当時の若かった私には本当に何が偉いのか、よく理解できませんでした。
もっと前に伝えられていれば、お茶を買って練習もできていたでしょう。が、その余裕もなく、まさにぶっつけ本番です。(今なら動画で5分あればバッチリですが!)
ただ緊張しながらそのお茶を
さて翌日。緊張の瞬間が近づいてきました。アトリエにその先生がお見えになりご挨拶。応接間にお招きします。普段はご婦人の来客が多いため、部屋のソファーは赤いベロア調で、テーブルは金色の縁取りのある美しいガラス。華やかな服やジュエリーがディスプレイされています。かなり年配のおじいさんとお見受けした先生が、その真っ赤なソファーにお座りになります。
先生と社長兼デザイナー(お仕えしていた方)の歓談が始まり、私は奥に引っ込みいよいよ玉露淹れタイム。頭の中のマニュアル通りにお茶を入れます。お湯の温度計もなく、もう感覚でしかありません。薫りはどうかなんて余裕もなく、とにかくお湯がぬるめであれば玉露の最低合格ラインはクリアするのではないか、と考えながら湯呑みに注ぎます。
そして、応接間へ。ただ緊張しながらそのお茶をお出ししました。
帰り際のひと言
無事お茶を出せたことにホッとすると同時に、再び奥に引っ込むと「おいしくない玉露だったらどうしよう」と不安がよぎります。が、どうしようもありません。
見るからに穏やかそうなお人柄の良さそうなおじいさん。さすがに、こんなマズイお茶は飲んだことがない!とお叱りを受けることはないだろう、と心に言い聞かせるのでした。
やがて歓談の時間が終わります。先生はお帰りになられるようでした。
私はご挨拶とお見送りのため、表(応接間)の入り口までお迎えに上がります。その時でした。先生は真っ直ぐ私の顔をご覧になって、こうおっしゃったのです。
「大変、おいしいお茶でした。ありがとう。」
まさかのひと言でした。その瞬間、嬉しくてすべての緊張から解き放たれたような気持ちになったことをよく覚えています。
偉い先生であったことの真実
とても若かったあの当時の私には、そのひと言の深い意味や尊さに気がついていませんでした。玉露の入れ方というマニュアルだけが先行した、心のこもらない、未熟者が入れたお茶でした。
今思えば、本当においしいお茶のはずがありません。
それでも「大変、おいしいお茶でした。ありがとう。」と、おっしゃってくださいました。
あのお礼のお言葉は、お茶そのものに対するお礼ではなく、私が一所懸命がんばって入れたことを察しての感謝の意であったことに、もう何十年も経ってから気がつくのです。
そして今になって本当に「偉い先生」であった真実が見えてくるのです。元最高裁判所長官という経歴でも肩書きでもなく、その方が相手を思いやる心。たとえそれがどんな相手でも。
あんな若い未熟者の私に頭を下げ、お礼の言葉をかけてくださったそのお心の豊かさ、尊さ。
あのときの玉露が記念品に重なる
あれから長い歳月を経て、今させていただいている仕事は法人記念品の制作。日々、高級記念品という品物を企業のお客様にお届けしています。納品後、多くのお客様から「ありがとうございました」とおっしゃっていただける大変光栄な仕事です。
その一つ一つの記念品が、ふとあのときの玉露と重なるときがあります。
毎回作り手として100%納得できるクオリティーでお届けできているかというと、決してそうではありません。それでも、多くのお客様方がお礼を伝えてくださるのは、ただ完成された品物だけをご覧になっているだけではなく、目に見えない職人の汗や努力に対する感謝のメッセージでもあることを思うのです。
「大変、おいしいお茶でした。ありがとう。」
今でも、玉露というお茶に触れることがあると、何十年も前のあの瞬間がまるで美しいモノクロの映画のように駆け巡ります。


