素材を活かすも殺すもプロ次第
知らないことは知らないと言える?!
「ホントにあんた、プロなんか?」
疑いたくなる自称プロなるヤツもいるのも事実。
前回の記事でお伝えしたように、プロと言われる範囲は、思っている以上に狭い。
端的に言えば、我々の食肉業界。
『肉屋』であることは間違いない。ただ、俺は“ビーフ”しか知らない。
例えば、これを肉屋という大きなカテゴリーに自分を無理やり縛り付け、相手(お客)の期待に応えようとする。
お客:この豚のカタロースは、どうやったら一番おいしく食べられますか?
オレ:そうですね…生姜焼きなんかがおススメなんじゃないでしょうかね…ハハッ。。
こんな感じに無理やり答えると、ありきたりの返答しかできない。
この場合、中途半端に期待に応えようとするのではなく、知らないことは「知らないです」と言える度胸があるかどうか。
それこそが、ホントのプロなんじゃないんでしょか。俺はそう感じています。
そもそも豚のカタロースを生姜焼きにするのは定番であって、お客はそんな答えを求めてはいない。
さらに、厚切りなのか薄切りなのか。
これだけでも、料理の仕方が変わってくる。
ただ、だからと言って「知りません!(キッパリ!)」と、不愛想にプイッっとそっぽ向くのも半人前。
「ごめんなさい。俺、ビーフ専門なので豚を良く知ってる人を呼んできますね(ニッコリ)。
でもお客さん、次はビーフをお願いします。その時は俺が、しっかりと良いビーフと旨い食べ方を教えますからねっ!」
これくらいの返答が出来てやっと一人前。
「コイツ、感じ悪っ…」と、お客にレッテルを貼られてしまえば、ホントのプロであっても次回、相手にしてくれるはずがない。
それじゃ、宝の持ち腐れと言われてもしょうがない。
プロと言われるからには、最低限、いや、それなりの愛嬌と気遣いや気配りを持ち合わせていなきゃならない。
要するに、チョイとした処世術なるものを身につけておくべき。
そしてその後、ちゃんとそのお客にビーフを提供し、喜んでくれたならプロと言ってイイんじゃないんでしょうか。
例外的プロ
ただ、物事には例外があるのが常。
分かりやすく例えるならば『頑固オヤジのラーメン』
頭には、手ぬぐいで結ったねじり鉢巻きをし、口が悪い。しかも不愛想であることが鉄板。
もちろん、取材お断り。スマホ撮影さえも許さない程の徹底ぶり。
客だろうが、誰だろうがべらんめえ口調で話し、好かれようとするわけがなく、我が道を行く。
だけど、味だけは誰もが認める旨さ。
そのウマさだけは突出していて、他はゼロ。
高校野球のチーム分析で例えるなら、攻撃力は5、その他の守備力、機動力、投手力は全て『0』
たった一つだけ突出している。
これをこの店に当てはめると…
味10、愛想0、サービス0、人徳0。
目盛りは5までしかないんだけど味だけは『10』を付けられるほどのウマさ。
もう、ここまでになると誰も何も言えない。
むしろ、味以外は『0』でなくてはならない。そうでないと価値がない。
この頑固オヤジを演じようとして演じているのではなく、その人そのもの。
まさにプロと呼ぶにふさわしい。
『旨いラーメン』しか作れないんだ。
冒頭でも言ったように、プロというのは範囲が極端に狭い。
しかし、この例外的プロは、滅多にいるもんじゃない…。
その道のプロ。本物のプロ。
意外に少ないのかもしれませんね。
◆
頑固オヤジの店。
ラーメン屋であろうが、うなぎ屋であろうが、すし屋であろうが、今じゃすっかりと息をひそめました。
時代ですね…ちょっぴり寂しいです。