ジャンルを問わない:民謡編
アンドレ・カンドレ でデビューした頃は知りませんでした。1969年の9月に「カンドレ・マンドレ」という曲で
デビューしたと記録が有ります。泣かず飛ばすで世間に知られる事は無かった様です。私は9歳、小3頃。
レコード会社を移籍して、「井上陽水(ようすい)」として再デビュー。本名の読みは「あきみ」です。
1972年3月に「断絶」LP(レコードアルバム)をリリースしています。私は12歳頃。
1973年12月「氷の世界」のアルバムをリリースし、これはウイキペディアから引用すると
「日本レコード史上初のLP販売100万枚突破の金字塔を打ち立てた」
中学に上がった私は、民放ラジオのリクエスト番組などで聞く回数が増えていました。
「心もよう」は、フォークギターのAmのアルペジオから始まり、「ジャジャジャーン」とピアノとかの多くの音が重なったフレーズが
きて、木管楽器のキレイな音色で「ピュラリー」が来てから「さびしさのつれずれに・・・・」
プロヂューサーは「多賀 英典」氏と明記されてますが、アレンジは誰かわかりません。
クラシック曲の展開だと私は思うのです。
3分前後のシングル曲としてまとめるには、それぞれのパートを2小節位で納めながら色々な音色をつないで行ったのだと思います。
楽曲の出来の良さも有りますが、当時のアレンジャーは恐らく音楽の知識の豊かな方がサポートしていると思います。
「井上陽水」さんは私の最大のヒーローです。
しかし、私の中の陽水さんは私が高校生の頃で終わっているのです。
過行く時間の中で楽曲の方向性が変わってしまったのは致し方ない事でしょう。
何年か前、大分の大きな箱でのライブのCMを観ました。
あの頃の楽曲は殆ど演奏されないと知り、チケットの購入まではしませんでした。
中2の頃、ヤッシャを切って(しつこくワガママを言って)、2万円という大金を婆さんから貰って
豊肥本線滝水駅からディゼル列車に乗り大分駅までの一人旅。
トキワデパートの楽器売り場でモーリスの13,000円のフォークギターと出会い現金購入致しました。
ケースなんぞは買えず、段ボール箱に入れたまま帰路についたのでした。
「ジーグ」と言う楽器屋さんが有ったのですがその頃はネットが無い時代。TVのCMでもやってれば。
「私はギターが弾ける」と妙な自信が有ったのです。
当時では大金だったお金を出してくれた家に今となっては感謝しか有りません。
明星、平凡の月刊誌の付録には、「唄本」と言う歌詞と楽譜が掲載されたヒット曲が多数掲載されていました。
「フォークソング」と言う括りで、ギターのコード表と、丁寧に各コードの運指(各指での押さえ方)まで載ってました。
この時代として大変有難かったのです。
ブラスバンドでテナーサックスを吹いていたので、楽譜はそこそこ読めたのです。
勉強はそっちのけで、ギターの練習ばかりやっておりました。
「岬めぐり」山本コウタローとウイークエンドでした。
リコーダが得意だったから、あの有名なイントロは、耳コピーできましたので今でも指が勝手に動きます。
1974年6月リリースの記事が有りますので、14歳ですね、中2かな。
かぐや姫、風は、大分出身の南こうせつさん、伊勢正三さんが参加していたグループです。
フォークソングの括りでは、外せない存在です。
神田川
なごり雪
妹
赤ちょうちん
後生に残る名曲を残してくれたお二人の存在は、大分の誇りだと思っております。
泉谷しげるさん
岡林信康さん
因幡晃さん
そうだ、因幡晃さんの「わかって下さい」とか名曲だと思います。
フォークソングは、所謂、職業作家(作詞家、作曲家)の楽曲をシンガーとして唄うのではなく
シンガー自身が、制作に関わっていたと言う位置づけだったでしょうか。
現在では、アーチストが自ら作詞作曲を行い自ら歌うのが当たり前?になっております。
松本隆さん、戸倉俊一さん、阿久悠さん、筒美京平さん、等々
この様な、専門家は、出現しないでしょう


