夫婦間におけるパーソナルスペース
私は、いつでも全力で居たい人です。
いちゃつくの全力でいちゃつきましょう。
では、いちゃつくという定義を考えるところから始めてみましょうか。
いちゃつくのは、愛の確認ですよね。
愛の確認とは、何を確認しているのでしょう?
どんどん話は深くなっていきますよね。
あなたは何を確認して、愛の確認として受け取りますか?
迷路に迷い込んでしますと、見えているもの、見えていたものが見えなくなります。
見えなくなっただけで、そこに存在しているのに…
もっと、人のこころの怖いのは、見えなくなったのは自分だと勘違いすることです。
自分で、自分を見るためには、鏡に映る姿を見るか、もしくは手や足を見て、自分のものだと断定するかですよね。
なのに、自分の目の前に自分が居ないと感じることで、孤独感でしょうか、自己承認の消失でしょうか。
全力で自分探しをすることが出来ればよいのですけれども。
だって、存在しているのは間違いないのですから、今ここにあなたはいます。
もしも、あなた自身が自分がいないように感じて居るのなら、あなたが感じて居るだけなのかもしれませんよね。
ここも全力で自分を疑ってみましょう。
そして、あなたの存在をはっきりと感じさせてくれるのがパートナーですよね。
その人の目には、あなたが映っていますから。
いちゃつくことは、自分の存在の確認かもしれませんよね。
触れられることで、体感覚で感じます。
耳元でささやかれることで、聴覚で感じて居ます。
目の前に、そして近くにいると感じることで、視覚で感じて居ます。
相手を感じるということが、相手もあなたを感じるということです。
二人でいる意味というのは、こういうところにもあるのかもしれませんね。
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