「行かなくていいよ」と言える勇気と覚悟
不登校という言葉は、珍しい言葉ではありません。
またどの子にでも、不登校という状態が生まれる可能性はあります。 絶対に起きない保証はないということです。
不登校というのは、様々でしょうがじわじわ休みが多くなるということもあるでしょうが、私の場合は「ある日、突然」でした。
ある日を境に、行くことができなくなりました。9月のことです。
部屋から出てこない
ことばもない
食事もとらない
部屋はまっくら
そんな状態が続きました
その間、本当に部屋から聞こえる些細な音に過敏になり、すこし音がするだけで、少し安心したものです。
といいながら調子がいい時もありました。
部屋から降りてきて、食事をとったり、お風呂に入った後でお茶を取りにきたり・・・ そんなときに少しですが、子どもが気になること(好きな歌手)などを聞くと、同じテーマで話せるように、その歌手を聞いて、少しでも会話が続くように、どうにか話をつづけるようにと試行錯誤しながらやってきました。
その時感じたことは、1つです。 親にできることには限界があるということです。
別の言い方をすると、親の支えだけでは支えきれないということ。我が子の場合は、少しずつ始めていたバイトの人たちとの関係があったからこそ、どうにか前に進めたのではと思っています。
親に認められるのは、当たり前です。 バイトという別の社会で少しずつでもいいので、認められていくこと。 またバイトで頑張った結果で得た自分の給与で、欲しいものを買ったときの満足した笑顔は、今でも忘れられません。
自分で選び、自分で進んだ、そして自分で得た評価はその人のありのままを守り、育てます。
果たして今の教育制度はどうでしょう、
自分で選ぶこと、
自分で考えて進むこと
自分の頑張りがそのまま評価されるでしょうか
別の評価(点数)だけで評価されていないでしょうか?
本当に我が子だけの経験ですが、感じたことは、
我が子のありのままを信じ、 我が子の進もうとする道を見守ることができるのは、親だけではないでしょうか?
そうあるべきであることを、教えてくれたのは、今の我が子の姿です。
今、不登校の子を支えている方がいれば、少しでも力に変えてほしいと思います。
我が子を信じて、我が子の決断を支えてください。
元気であればいい、やさしくあればいい、そういう気持ちを思い出してください。
それが我が子を守りますから!