Mybestpro Members

日髙一美プロはテレビ宮崎が厳正なる審査をした登録専門家です

紺色(こんいろ)

日髙一美

日髙一美

テーマ:日記

koniro

紺色(こんいろ)

おはようモーニング!

今日の日本の伝統色は紺色(こんいろ)です。

紺(こん)とは、藍染(あいぞめ)の中で最も濃い色で、わずかに赤みを含んだ濃い青色のことです。

英名では『ネイビーブルー』。

古くは『深縹(ふかきはなだ)』と呼ばれ、平安時代の式目『延喜式(えんぎしき)』にもその名が見られます。

ちなみに『縹(はなだ)』とは昔の青色のこと。

もともと中国古来の染色名だった紺色は、平安の頃に色調とともに我が国に伝来しました。

その後、日本古来の色で同色だった『深縹』に「紺」の字があてられて、中世以降に定着していきます。

紺色は日本人にとって広く親しまれ、紺絣(こんがすり)、紺足袋(こんたび)、紺暖簾(こんのれん)など「紺」が付く単語は数多くみられます。

室町時代には紺染(こうぞめ)職人を紺掻(こうかき)と呼び、江戸時代には紺屋(こうや)が染物屋の代名詞になるほどでした。

現在でも学校や企業の制服の色として広く使われています。

紺色は藍染を繰り返して出される色ですが、大変に手間がかかる事から江戸期には手軽に染めるため「呉汁に染めを加え、予め布地に下染してから藍染に移す」ことも行われるようになりました。

このため手間を掛けた「上等の紺」は特別視され、『上紺(じょうこん)』や『正紺(しょうこん)』と呼ばれ区別されています。

また、これ以上は濃く染まらないという事から『留紺(とめこん)』の名でも呼ばれました。

鎌倉の頃より『紺』は『褐色(かちいろ)=勝色』として武士には縁起の良い色でした。

戦国時代の名将“藤堂高虎(とうどう たかとら)”も遺訓の中で「戦の道具は柿色はダメだ、紺色がいい。」といっています。

江戸初期に『柿色』が流行しましたが、高虎としては武士が紺色を身に着けずに流行色を着ることが面白くなったのかもしれません。

1月13日今日は何の日

それでは続きをどうぞ!

リンクをコピーしました

Mybestpro Members

日髙一美
専門家

日髙一美(職人)

有限会社ピーテックカンパニー

戸建住宅からビル・店舗などに至るまで外壁塗装を専門に行っています。外壁材や下地、塗装などメーカーごとの異なる専門的知識を持つため、リフォームやリノベーション物件でも外壁に応じた適切な塗装が可能です。

日髙一美プロはテレビ宮崎が厳正なる審査をした登録専門家です

関連するコラム

プロのおすすめするコラム

コラムテーマ

コラム一覧に戻る

プロのインタビューを読む

外壁材・塗料の専門知識に特化した外壁塗装のプロ

日髙一美プロへの仕事の相談・依頼

仕事の相談・依頼