Mybestpro Members

一木康広プロはテレビ宮崎が厳正なる審査をした登録専門家です

塾長の考え(個別指導とは何か)②

一木康広

一木康広

テーマ:塾長の考え

えっ
かなり前の話になるが、

Sちゃんの話である。




Sちゃんは中学2年生の秋に入塾してきた。

友だちと2人で。




部活動は吹奏楽部に所属していた。




中学2年生の秋と言えば、




数学ならば1次関数の文章問題から、

図形の証明問題の基礎学習の時期だった。




Sちゃんはそもそも理解がよく、

出来なかった問題も順調に出来るようになり、




成績は上昇を続けていった。




そのまま中3生になり、

がっちりと自立型個別学習方法にのっとって、

受験勉強を完走した。




無事に宮崎西高校普通科に合格。




塾は卒塾(退塾)した。




なぜか?




県立高校に合格したからである。




ここで一連の流れを確認してみる。




①学力を伸ばすために塾に入った。

②その結果、学力が向上した。

③高校受験をした。

④無事に合格できた。




⑤それからは大学受験に向けての勉強が、

始まった。




⑥それが3年間続いた。




⑦学力はグングン上がっていき、

万全な状態になった。




その結果、

⑧現役で国立宮崎大学教育学部に合格した。




⑨めでたしめでたし。




〈終〉







…というわけではなかった。




実際はこうだった。

(以下、確認する)




(中2の秋の時点で)

①(部活ばっかりしていて)学力不振になった。

②成績を上げたくて塾に入った。

③その結果、成績が上がった。

④高校受験で落ちたくない。

⑤1年半の間、塾通いした。

⑥高校受験をした。

⑦無事に合格できた。




⑧本当の目的(高校合格)を達成したので、

塾は用済みになった。




⑨当然のごとく卒塾(退塾)した。

⑩高校での新生活が始まった。

⑪部活動に励む毎日がまた始まった。




※数か月が過ぎた。




⑫成績はボロボロになっていた。

⑬でも大学には絶対に行きたいと思った。

(国立じゃないと困る)

⑭また北斗塾に入った。

⑮部活との両立が困難になった。




※同時期、両親が離婚した。




⑯塾をやめた。




※約2年半が過ぎた。




⑰大学受験で失敗した。

⑱浪人することが決まった。




※予備校に入るほどのお金はなかった。




⑲週に3回だけ塾に通うことにした。

(北斗塾に再入塾)




(反省して)

⑳高1の最初の内容から学習し直した。

㉑思ったよりも月日はドンドン過ぎていった。

㉒高1生よりはちょっと速いペースで勉強した。




※本人の限界の速さで学習した。




㉓大学入試センター試験の日が来た。




※センター試験では前年比153点アップ。




㉔国立宮崎大学教育学部に合格した。




㉕塾講師のアルバイトをしようと思った。

(北斗塾が希望)

㉖塾長に採用のお願いをした。

㉗断られた。(何でやねん!)




(続く)

リンクをコピーしました

Mybestpro Members

一木康広
専門家

一木康広(塾講師)

株式会社北斗塾

生徒の学力と性格に応じて指導を変化させること。成績向上に必要な要素(①知識定着の確認②解法のための技術指導③やる気の発生・向上・継続のサポート④学習に最適な環境の整備)を提供し、学力向上へと導くこと。

一木康広プロはテレビ宮崎が厳正なる審査をした登録専門家です

関連するコラム

プロのおすすめするコラム

コラムテーマ

コラム一覧に戻る

プロのインタビューを読む

中学・高校・大学受験合格へと導く自立型個別指導のプロ

一木康広プロへの仕事の相談・依頼

仕事の相談・依頼