情報大洪水の時代(その22)
予備校生も高校生も、
「何を聞けばいいのかわからない」
そう思う教科の筆頭が国語。
小学生や中学生が質問で持ってくることは、
まず、ない。
よって、
小学生や中学生の場合、
こちらが積極的に行かない限りは、
国語の力を上げることは難しい。
大多数の生徒は、
授業(集団がほとんど)を受けて終わり。
そのまま進んで高校受験。
高校受験合格後は、
数学や英語の勉強に追われ、
いつまでたっても国語は後回し。
結局、
国語力の乏しい高校生が量産されている。
中学生時代に塾通いしていたとしても、
英数メインの指導を受けていることが多く、
当時から国語の成績は低空飛行のまま。
個別指導塾に通っていた生徒で、
「国語(の指導)を受けていました」
という生徒も、ほぼいない。
国語の指導専門塾があったが、
今はあるのかさえわからない。
そんなこんなで、
「国語力が低い」
という事実に生徒が真剣に向き合うのは、
「大学受験」の勉強のとき。
それまでの「ツケ」はすべて北斗塾へ、
という事態がここ17年以上続いている。
ちなみに、
現在の大学入試共通テストにおいて、
「国語力が低い」
は極めて危険な状態であり、
国語の点数のみならず、
全教科にその悪影響は出る仕組みだ。
そこに多くの人が気が付かない。
この「多くの人」とは塾関係者や、
親御さんたちを指す。
ある意味では、
活字に親しみをもてるような環境を、
親が子どもに提供できなかったせいだろう。
デジタルネイティブ世代である小中高生こそ、
本などの活字に触れる機会を、
親が幼少期につくれていないと、
いけなかったのだが…。
ちなみに、
1981~1995年生まれの世代は、
インターネットや携帯電話とともに育った、
「Y世代」。
1996~2010年生まれの世代は、
スマホやSNSとともに育った、
「Z世代」。
このように分類できるらしい。
実際のところ、
それぞれの世代では感性が違っていて、
国語の指導をするときのスキル伝達は、
いつの時代も同じなのだが、
現在までの育ってきた背景が、
社会的にも家庭的にも同じではないため、
指導の中身は生徒ごとに変えている。
(私の場合)
生徒によって響く言葉が違うからだ。
よって、
雑談のような話をしながら、
生徒への理解を深めた上で、
問題の解説をする。
生徒と問題作成者と筆者の、
価値観や人生観を確認しながら、
「問題の解説をする」。
その指導への評価を決めるのは、
いつの時代でも生徒の方だが。
(続く)