塾長の考え(ショート 604)

予備校生も高校生も、
「何を聞けばいいのかわからない」
そう思う教科の筆頭が国語。
小学生や中学生が質問で持ってくることは、
まず、ない。
よって、
小学生や中学生の場合、
こちらが積極的に行かない限りは、
国語の力を上げることは難しい。
大多数の生徒は、
授業(集団がほとんど)を受けて終わり。
そのまま進んで高校受験。
高校受験合格後は、
数学や英語の勉強に追われ、
いつまでたっても国語は後回し。
結局、
国語力の乏しい高校生が量産されている。
中学生時代に塾通いしていたとしても、
英数メインの指導を受けていることが多く、
当時から国語の成績は低空飛行のまま。
個別指導塾に通っていた生徒で、
「国語(の指導)を受けていました」
という生徒も、ほぼいない。
国語の指導専門塾があったが、
今はあるのかさえわからない。
そんなこんなで、
「国語力が低い」
という事実に生徒が真剣に向き合うのは、
「大学受験」の勉強のとき。
それまでの「ツケ」はすべて北斗塾へ、
という事態がここ17年以上続いている。
ちなみに、
現在の大学入試共通テストにおいて、
「国語力が低い」
は極めて危険な状態であり、
国語の点数のみならず、
全教科にその悪影響は出る仕組みだ。
そこに多くの人が気が付かない。
この「多くの人」とは塾関係者や、
親御さんたちを指す。
ある意味では、
活字に親しみをもてるような環境を、
親が子どもに提供できなかったせいだろう。
デジタルネイティブ世代である小中高生こそ、
本などの活字に触れる機会を、
親が幼少期につくれていないと、
いけなかったのだが…。
ちなみに、
1981~1995年生まれの世代は、
インターネットや携帯電話とともに育った、
「Y世代」。
1996~2010年生まれの世代は、
スマホやSNSとともに育った、
「Z世代」。
このように分類できるらしい。
実際のところ、
それぞれの世代では感性が違っていて、
国語の指導をするときのスキル伝達は、
いつの時代も同じなのだが、
現在までの育ってきた背景が、
社会的にも家庭的にも同じではないため、
指導の中身は生徒ごとに変えている。
(私の場合)
生徒によって響く言葉が違うからだ。
よって、
雑談のような話をしながら、
生徒への理解を深めた上で、
問題の解説をする。
生徒と問題作成者と筆者の、
価値観や人生観を確認しながら、
「問題の解説をする」。
その指導への評価を決めるのは、
いつの時代でも生徒の方だが。
(続く)



