塾長の考え(塾講師とは?)②
「先生の授業は本当にわかる!」
そう言われて嬉しかった。
まだ北斗塾が自立型個別指導ではなく、
集団授業をしていた時代のことだ。
(平成5~7年前半まで)
塾講師という生きものは、
「授業がわかりやすい!」
と生徒に言われると、
すぐに有頂天になる。
自分(の存在)が認められたような、
そんな感情が湧き上がってきて、
非常に気持ちがいい。
生徒(=子ども)の方は、
特に中学生くらいだと単純に、
「先生の授業は誰よりもうまい!」
と「カンタンに」言うので、
当時の私は若かったせいもあって、
「そうだろ、そうだろ(笑)」
と上機嫌になっていたものだった。
昔、あるテレビ番組を観ていた時に、
お笑い芸人(有名でない)が、
「もっとおもろくなりたいっ!!」
と頭を抱えて叫んでいる場面を見た。
その気持ちが私にはよくわかった。
数年前にある本を立ち読みした時に、
その時と同じ感情がよみがえった。
それはどこかの予備校講師が、
共同(2人)で書いた本だったのだが、
「もっとわかりやすい授業がしたい!!」
と書いてあったからだ。
お笑い芸人と予備校講師。
一見すると違う世界の人間同士だが、
共通点は複数の人たちの前に立つこと。
そして、
「わらわせる」、「わからせる」。
そういう結果を得るために、
毎日毎日を自己錬磨に費やす。
磨いて磨いて、磨きぬく。
そういう血のにじむような、
努力の結晶のお披露目会が、
「舞台」であり「教壇」なのだ。
見られる人間の心理は私もわかる。
さんざん授業をしてきたからだ。
(平成元年4月~7年8月まで)
お笑い芸人だからといって、
全員おもしろいわけではない。
予備校講師だからといっても、
全員わかりやすい授業はできない。
あたりまえだ。
だが、それでも言える。今なら。
授業がいかにわかりやすくても、
それが生徒の学力向上に、
即つながるわけではない。
学力を構築する工程で、
「(完全に)理解する」という、
認知セクションは必須項目だが、
そこの完成度で喜ぶ講師は、
生徒のことを1番には考えていない。
自分のことを1番に考えている。
そういう講師の授業を受けて、
問題の解き方を学ぶだけならいいが、
もしも個別指導する「講師」だと、
物理的にも心理的にも、
距離が近いので生徒は影響を受ける。
ダイレクト(直接的)に。
それでどうなっていくか?
その講師と同じく、
自己承認欲求の強い子どもに、
時間をかけて変貌していく。
(続く)