塾長の考え(父親)②
1993年3月15日。
私は自分で創立した塾の教壇に、
立った。
3月1日から2週間の準備を経て、
自塾をオープンさせた。
自己資金が少ないため、
中古販売のお店を何件も周り、
机といすを購入。
中古の黒板を買い、
壁に取り付けた。
チョークやラーフル
(これは新品!)
を買って当日を迎えた。
当時22歳。
翌月の4月8日に正式に開講。
このとき23歳。
大卒1年目のお兄ちゃん。
(今は「おじちゃん!!」)
※月日が過ぎるのは早い。
「若いですね~」
と当時の親御さんたちからは、
必ずと言っていいほど言われた。
逆に塾生たちからは、
「先生って、30歳くらい?」
と言われてはいたが。(笑)
このとき、
高校3年生が1名。
(のちに広島大学に合格)
高校1年生が1名。
(3兄弟の1番目であと2人も入塾)
中学3年生が9名。
中学2年生が3名。
中学1年生が1名。(後に東大合格)
小学生が0名。
計15名でスタートした。
この“縁”ある子どもたちの成績を、
ドンドン上げて行き、
全員を志望校に合格させたい、
そう願ったし、
そう誓った。
その年の9月には、
生徒数は45名になり、
翌年の3月の時点では、
109名になった。
なぜそんなに生徒数が増えたのか?
成績の上がり方が他塾のそれとは、
まるで違っていたからだった。
中学生の成績を上げる。
これは一見大変そうに見えるが、
定期(中間・期末)テストならば、
カンタン。
実力テストで結果を出すには、
時間がかかるが、
県立高校入試で合格させることは、
あまり難しくはない。
(例外はあるが)
当時の私はいつでも、
生徒の成績アップしか頭になかった。
集団授業の塾だったし、
「いい授業をすれば成績は上がる!」
そう信じて疑わなかった。
とにかく成績を上げること。
それ以外に何か意味はある?
ないよね?
ここは塾だよ!
保護者(親御さんたち)も、
「それ」しか望んでいないだろ!
(成績を上げる)
自信があった。
(保護者の要望を叶えている)
自負心があった。
生徒の成績表を毎日見ていた。
全員分、何度でも。
それが自分の仕事だから。
どうやって成績を上げようか?
考え抜いた。
それが自分の仕事だから。
しかし、
生徒1人ひとりを「見る」、
そういう意識はなかった。
(続く)