塾長の考え(国語の指導)
「高3になって数学の担任が替わって…」
「すごくわかるようになったんですよ」
「おかげで今だいぶん数学がわかります」
学校の先生いわゆる教科担当の先生。
1年ごとに替わるわけだが、
「あたり」と「はずれ」の先生がいて、
1.「あたり」の先生だと授業がよくわかる。
2.「はずれ」の先生だと授業がよくわからない。
事実、
塾長の中にはこのことを強調して、
必要以上に大騒ぎする人もいる。
だが、
あまり意味がない。
いい先生に恵まれるかどうか。
それは「運」的要素が強いため、
最初からそれはあてにしてはいけない。
それが常識。
私の高校時代を鑑みても、
本当にできる生徒たちは先生の質には、
左右されていない。
たんたんと自分で勉強していくだけ。
いい先生にあたったら、
大いにその先生の授業を活用。
よくない先生にあたったら、
その先生の授業をペース配分で利用。
いい先生に当たって、
「いい思いをしたい」
という考えはわからなくもないが、
そもそも世の中に出たら、
いい上司もいれば、
わるい上司もいるだろう。
いい先輩もいれば、
わるい先輩もいるだろう。
それが世の中の実相だ。
「授業」の質でわが理解度が左右される戦略で、
全国大会である大学受験を目指すという発想は、
お粗末と言わざるを得ない。
だいたい授業でわかる必要はなく、
教科書や教科書ガイド、
参考書や問題集。
youtube(ユーチューブ)などの映像授業、
ネットの検索、
chatGPT(AI)の活用による学習。
今は何でも「モノ」がそろっており、
「理解」することに不自由なことはない。
新しい内容であっても容易に理解できる。
自学自習ができる世の中に成熟しているのだ。
それなのに、
「学校の授業がわからなくて…」
という不満を言ってくる生徒はハッキリ言って、
時代がずれている。
もちろんそういった言葉が出てきても、
生徒自身を責めたりはしない。
ただ単に考え方が時代錯誤だということを、
ていねいに教えるだけのこと。
同様に、
大手予備校の場合は自校の講師が商品なので、
必要以上に、
「一流予備校講師」
「超人気講師」
などといったフレーズを戦略的に使いまわし、
それに感化された生徒なども、
「〇〇の日本史」はおすすめです。
「△△の英語」は絶対に外せない。
などと平気でしゃべる。
この「〇〇」とか「△△」には、
予備校講師の名字が挿入される。
正直言って、
この表現は個人的に気持ち悪い。
だれかの「日本史」とか、
だれかの「英語」とか、
そんなものあるのかと思う。
講義を受講したり、
著書を熟読したりしてみると、
工夫をしている点ですばらしいけれど、
それは他の参考書でもいっしょのこと。
予備校の宣伝戦略におどらされている。
「授業」はわからなくても大丈夫。
「参考書」を読めばふつうに解決するから。
「すごい授業」「神授業」など、
一切なくても困らない。
(続く)