塾長の考え(親子関係)21
Cくんは九州大学合格を目指している。
しかし、九大や阪大などの難関大学は、
昨年度(といってもこの前の2月だが)、
生徒目線から言えば数学は難しくなった。
同じ状況は北大や名大でも起きている。
いよいよ各大学も共通テストと同様に、
バージョンアップが始まっているようだ。
時代が動いていることを感じる。
さて、
難関大学の問題を生徒が解ける。
そうなるように指導するには、
やはり1つひとつの問題を実際に見せて、
その構造を把握させるステップがいる。
そこをうまく指導しないといけない。
その問題の真意は何か?
その問題の本質は何か?
生徒に考えさせつつも要点をどう見抜くか、
それを教授しないといけない。
それが塾講師の重要な仕事の1つだ。
もちろん予備校講師という存在もまた、
それをする技術師みたいなものだが、
彼らは1つの問題を自分流に解説するだけ、
それで終わる分だけ楽ができているようだ。
その後、その問題の類題などが出たとき、
生徒1人ひとりがその問題を、
解けるようになっているかどうか。
そこには関心がないようだ。
いや、もっと正確に言うと、
そこは守備範囲外だと思っているようだ。
入試問題の解き方を、
生徒たちが「わかるようになるまで」が、
予備校講師の仕事だと思っているようだ。
生徒が実際にできるようになっているか、
そのことはあまり関心がないようだ。
「できるようになるまで」
それが実現するためには、
生徒がどれだけ復習をしていくかだよ、
と割り切っているようだ。
ここが塾講師と予備校講師の違うところ。
かつて林修(はやしおさむ)先生が、
あるテレビ番組に出演した時に、
「塾講師の林先生で~す!」
と紹介されたらいやな顔をした。
そして即座に訂正を入れた。
「僕は予備校講師です」
「塾講師ではありませんよ」
紹介した人がキョトンとしていた。
「どっちでも同じじゃないんですか?」
「全然違いますよ!」
林先生からすれば、
「塾講師と一緒にするんじゃないよ」
という考えなんだろうなと思った。
だが言わせてもらおう。
私も塾長であり塾講師だが、
「予備校講師といっしょにするなよ」
と思っている。
授業だけすればいい身分と、
入試での合否に責任を感じて、
喜んだり悲しんだり、
親御さんといっしょに笑ったり、
親御さんに謝ったり、
それが塾講師だ!
人種が明らかに違う。
九大の問題は高尚で難しい。
それでも解く過程でいろいろと、
味わい深いものがある。
さすがは「旧帝国大学」の問題。
これを生徒と一緒に分析する。
そのエッセンスが生徒の頭の中に、
ひとつ残らず吸収されてほしい。
そのエッセンスが、
大学生での学問の習得に大いに役立ち、
社会に出てから自分が関わる仕事の質に、
大きく影響する。
「Cくん、解いたやつ見せて!」
「あ、はい。これ…お願いします」
出された1枚の答案を見る。
「これは…(笑)」
(続く)