塾長の考え(ショート 604)
夏のある日に実家の電話が鳴った。
いや、実家の電話ではない。
父親の携帯電話が鳴った。
父親のセリフだけ羅列すると、
「はい、もしもし?」
「お~、どうしたの~」
「元気にしていたね?」
「え、こっち?」
「ちょうど今出てきたところよ」
(「え、どこから出てきたって話?)」
(「ずっとリビングにいるじゃん…」)
「棺桶(かんおけ)よ、棺桶!」
「あ~はっはっは」
「いやいや本当だって(笑)」
「狭いけどね、これが快適快適(笑)」
「ブランドものだから、ブランド!」
「意外と涼しいんだよ~中はね」
「あんたも時々入ったらいいよ」
「あの世とこの世を行ったり来たり…」
「いや~、ははははは」
(「こ、これがうちの親父!?」)
私自身のユーモアについては、
素質的には完全に母親譲りで、
自分自身のオリジナル性もあるぞと、
32歳になるまでひそかに思っていた。
どうやら…、
父親+母親の両方の遺伝子から、
受けついでいたようだ。
それが今の自分なのだと認識した。
塾長になってからは特に、
塾生が全員帰ったころになると、
「今ちょうど仕事の帰りだよ」
と(ウソを)言って(夜の11時!)、
塾の現場にやって来ては、
しばしおしゃべりをしてから帰宅。
そんなことが多かったね。
ずっと心配してくれていたのは、
父親も母親も同じだった。
何せ22歳で独立した息子だから。
世間知らずのまま独立した息子だから。
不安でしょうがなかったのだろう。
塾生の保護者との面談の中で、
毎回何度も何度も思わされる。
どれだけ親がわが子のことを、
第一に考えているか。
大切に考えているか。
一生懸命に育ててきたか。
先日も国公立大学の前期試験の、
合格発表があったが、
今年も100%全員合格とは、
ならなかった。
塾内の合格者掲示の場所には、
例年よりも数多く合格者の名前が、
張り出されているが、
1人でも不合格者がいたらもうダメ。
私自身は落ちた生徒のことを思うと、
手放しで他の生徒の合格を喜べない。
全力で喜べない。
30年間ずっと同じだ。
ずっと変わらない。
これが自分の性格なのだろう。
たった1人でも不合格者が出れば、
もう反省材料の山積みなのだ。
大切なわが子の代わりはいない。
期待されてそれに応えられないこと。
生徒本人が一番つらいだろうが、
指導者であるこちらだって辛い。
「(このまま)生きててもいいの?」
と聞いてきた病床の父親は、
結局のところ、
今の自分のことよりも、
自分のせいで金銭的に負担が、
息子にかかっていると思えばこそ、
本心からしぼり出てきたセリフ。
親という存在はわが子に対して、
いったいどれくらい、
いったいどこまで、
いったいいつまで、
想いを寄せ続ける存在なのだろうか。
あらためて自分がやっている仕事は、
親御さんたちの「わが子」、
大切な「わが子」の将来がかかっている、
重要な仕事なのだと再認識させられる。