塾長の考え(予備校)2
「4浪目はあり得ないから」
娘は絶望の中でそう思った。
「もう…これ以上は頑張れない」
辛うじて受かっていた私立大の入学手続き。
医学部医学科ではない。
でも、そこしか受かっていない。
娘のために母親は粛々とそれを進めていた。
娘の頑張りをずっと間近で見続けてきた。
高校卒業後さらに3年間という時間は、
もう十分なチャレンジの期間だったと思えた。
「娘はやれるだけ頑張ったんだから…」
父親も母親と同じ考え……のはずだった。
しかし、父親はまったく別のことを考えた。
まだ娘には可能性はあるのではないか、と。
ここまで来てもやっぱりあきらめられない。
必死に考え抜いた末に、
ふっと、
かつての自分の学生時代の経験を思い出した。
実はそのお父さん。
東京生まれの東京育ち。
そして進学した大学は…東京大学!
つまり都会のエリート中のエリート学生。
そして東大を卒業した後の行動は、
普通ならば大企業への就職か、
霞が関での上級公務員の道、
(いずれは官僚になる)かだった。
しかし、
そういう類ではなく実際に選択したのは、
鹿児島大学医学部医学科への進学!
まさかの再受験での医学部進学だったのだ。
それも九州の最南端!(沖縄除く)
お父さんのプランの中で過去の記憶が、
(自身の成功体験が)よみがえる。
あの時の決断が今の生活をもたらした。
その事実を踏まえた上で、
ネットで検索をし始めた。
首都圏で勝てなくても地方で勝てばいい。
医者になるには首都圏の大学でなくてもいい。
地方の大学の医学部でもかまわない!
同じことだ!、と。
ターゲットは今回は鹿児島ではなかった。
宮崎をターゲットとして考えた。
つまり、宮崎大学医学部医学科だ。
首都圏の私立大学医学部医学科から、
地方国立大学医学部医学科への変更。
発想の転換だ。
いろいろと検索して予備校や学習塾の、
ホームページをどんどんと読み込んでいった。
宮崎大学医学部医学科の入試問題に、
精通している予備校または塾があるはずだ。
受験指導に自信があるところが、
絶対に1つ以上はあるはずだ。
娘を合格させる実力があるところが、
最低でも必ず1つはあるはずだ、と信じて。
そして、とうとう見つけた。
たくさんある塾や予備校の中から、
ある塾のホームページを。
その内容を隅から隅までチェックして、
意を決して電話をかけた。
東京都千代田区から宮崎県宮崎市の塾に。
そこの責任者(塾長)と話すために。
(続く)