塾長の考え(親の学習とは)①
「総合問題」には構成上、
小論文が入っている場合がある。
小論文対策の肝は、
論理的構成をどうするかが50%。
残り50%は内容の良し悪しである。
ところがほとんどの受験生は、
小論文を書かせるとこの論理的構成がおかしい。
どの生徒もレベル的には作文か感想文。
これら2つは自由に書いていい文章だが、
小論文とはそういうものではない。
そもそも構成が悪ければ小論文は0点である。
この部分が各高校の小論対策において、
十分なされているところがほぼない。
なぜなのかは未だにわからない。
構成にはいくつかパターンがあるのだが、
受験生の知識の広さや深さによって、
選択できるバージョンと、
できないバージョンがあって、
この選択の仕方から指導しないいけない。
その前にさらに、
文章を読んで内容を把握する力、
すなわち「読解力」がないと話にならない。
この「読解力」は小学生の頃からの積み重ねが、
極めて大きいため、
中学受験の経験がない生徒の場合は、
特に苦戦することになる。
勉強は筋トレと似ていて、
やればすぐに効果が出てくるわけではない。
小6時に国語と算数をどれだけやっていたか。
これがとことん追いかけてくる。
大学受験時にまで。
以前うちのある講師が入塾してきた生徒に、
中学1年生の内容から指導しようとした。
その生徒は私立中の中学3年生だった。
「なぜ中1の内容から始めるの?」
「この生徒は中学受験合格で中高一貫校にいます」
「だから?」
「中学受験合格者は小学生の内容は大丈夫です」
「(テストして)調べたの?」
「いえ、調べていません」
「調べてみてよ」
「やる必要ないと思いますよ」
「とにかく1度調べてみてよ」
「意味ないと思いますけれど」
この先生は今はもういないのだが、
中高一貫校にいる生徒は小学生の内容は、
出来るに決まっているから、
やるなら中1の内容からだよねという、
先入観があった。
だから、
その生徒の「真実」を見つけられなかった。
結果的にその生徒は中途半端な指導となり、
成績は頭打ちになり途中で退塾してしまった。
痛恨の思い出である。
もちろん「真実」を見つけなくても、
地方の国公立大学の普通レベルの学科には、
合格する場合がある。
ハッピーエンドに一見思われる。
しかしながら、
しっかりと根本的治療(指導)をすれば、
難関大学に合格するところまで、
成績を伸ばせる場合があるのだ。
GMARCHや関関同立などと呼ばれる、
有名私大に合格していった生徒に、
実はそのケースが多い。
(続く)