コラム
仙台の行政書士より181007心のメッセージ
2018年10月7日
本日は、仙台純福音教会の主日礼拝に出席いたします。
今日は、佐藤優著 人生の役に立つ聖書の名言(講談社)から一節を紹介いたします。
〈主の祈り〉
天にいますわれらの父よ、
御名があがめられますように。
御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの食物を、
きょうもお与えください。
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。
「マタイによる福音書」6章9-13節
キリスト教は、祈ることを大切にする宗教だ。祈りは他人に見せるために行うものではない。イエスが生きていた時代、ユダヤ教徒の中には、自分がいかに神に対して忠実であるかを見せるために、街頭で大声で祈りを捧げている者がいた。イエスは、そのような他人に見せるための祈りは欺瞞であると断罪する。そして、この「主の祈り」を提示する。
ここでの主語は、「わたしたち」になっている。従って、教会で共同で祈ることを前提とした祈りだ。現在もこの祈りは、カトリック教会、プロテスタント教会、正教会の礼拝で必ず唱えられている。もっとも、教会以外の場所での祈りをキリスト教徒は行ってはいけないということではない。祈祷会、家族、また個人での祈りをキリスト教は奨励している。
「主の祈り」の言葉は、日々の食糧も心の安寧もすべて神に頼るほかないという現実を自覚させる。祈りによって、人間は自らの限界を知ることが出来る。そして、イエス・キリスト通じた神の愛を実感するのだ。
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